教会やお寺で事務作業に追われている人たちに読んで欲しい1冊

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ちきりんさんの『自分の時間を取り戻そう』から学ぶ生産性

教会やお寺という場所は、世間一般からすると非常に不思議な場所だと思う。

なぜならどれだけそこで仕事をしようとも、それは全て修行という括りになるからだ。(宗教によっては違うのかもしれないが)

今回紹介するのは人気社会派ブロガー、ちきりんさんが書かれた『自分の時間を取り戻そう』という本だ。

この本はひと言で言うと「生産性を上げて豊かな暮らしを手に入れよう」ということが書かれている。

それだけ聞くと、教会やお寺の関係者からこんな声が聞こえてきそうだ。

おいおい、生産性とか宗教の世界に持ち込むんじゃないよ
信仰に生産性とか必要ないから

僕自身、そう思っていた。

初めにも書いたように、修行中の身の時は、やることなすことが全て修行だった。
信仰の枠から外れない行動をとらない限りは何をしても全て修行だったのだ。これは今思えば、良い面と悪い面があると思う。

良い面は、自分自身の心の成長にゆっくりと時間を使うことができること。

悪い面は、掃除一つにしてもどれだけゆっくりやろうが早くやろうが修行は修行なので、成果はあまり求められないこと。(もちろんサボるのはダメだが)

ということだ。今思えば僕は修行中、完全に悪い面がでていたように思う。

一つ例を挙げる。

修行中の僕と生産性

僕は自分の所属する宗教の親教会(会社で言うと親会社)で修行をしていた時期がある。

その教会の『教会報』という6頁からなる情報誌を制作する担当となっていた。
月一で発行しているその『教会報』を僕は修行中の時、二日かけて作っていた。これも修行の一環なので、時間をかけて作っていも誰にも文句は言われない。
むしろ褒められるくらいだ。

そこまでは良かった。
しかしこの後困ったことが起こる。親教会での修行が、終わりを迎えたのだ。修行という期間が終わって、まあ言うなればあとは教会に関わることもしながら、地方にある自分の生まれ育った教会で頑張りな、という訳だ。

修行が終わりを迎えたのだが、引き続き『会報』の作成には携わることになった。

その時、思ったのだ。

「あれ、二日も時間とれなくね?」と。

困った僕は先輩に相談した。

「すみません、会報作りに割く時間がないので、もう辞めるかお祈りの時間を削ってもいいですか?」と。

今考えると、一信仰者として本末転倒なことをしていると思う。まあそれは置いといて、その時先輩から紹介してもらったのがこの本だ。

この本を読んで、僕は教会に関する事務作業のやり方がガラッと変わった。
修行という側面も大事にする一方で、生産性ということにもこだわる様になった。

僕がこの本でグッときたポイントを一ヵ所だけ紹介する。

まきのり的『自分の時間を取り戻そう』のグッときたポイント

「ブラジル人と日本の農業の違い」という箇所なのだが、ここが一番衝撃を受けた。

ざっくり説明すると、ブラジル人は生産性という概念を日本人から学んだのだという。

昭和の中期ごろ、日本では食料が少なかったため、ブラジルに移民した人々がいた。
その人達の農業の仕方は、それまでのブラジル人の農業の仕方とは全く違っていたそうだ。

それまでのブラジルでの農業は「収穫を増やしたければ畑の面積を増やす」という考え方だった。国土が広いから、それができたのだ。
しかし面積の狭い日本からやってきた日本人は「同じ面積の畑からいかに多くの収穫を得るか」ということを考え始める。それが生産性につながっていったのだ。

これは日本人が優れているとかそういうことではなく、単に「日本が狭い国だったから」成し得ただけだ。

このことを抽象的に説明している部分が二カ所あるので引用する。

この例から分かるのは「インプットを容易に増やせる状況においては、誰も生産性を上げようとは思わない」ということです。(『自分の時間を取り戻そう』ちきりん 146頁)

そしてもう一ヵ所。生産性をあげるということの答えがここにある。

生産性を上げるためにはインプットを減らせばよいのです。(『自分の時間を取り戻そう』ちきりん 148頁)

この箇所を読んで僕はハッとした。

また話を『会報』を作れずに悩んでいる僕に戻そう。

僕は教会での事務作業をブラジルの農業のようなやり方をしていた。

それまで「時間」というインプットを大量に増やすことができる状況だったので、生産性を上げようという意識は全くなかった。時間を十分にかけて、会報というアウトプットをぼちぼちと生み出していたのだ。

先輩は僕がぼちぼちやっているのを見抜いていたのだろう。

一応断っておくと、その当時の僕には、わざとぼちぼちやろうという意識はなかった。しかしゆとりを持ってできる環境に甘えて、無意識にぼちぼちやっていたのだと思う。(そう思いたい)

それから僕は、『会報』を作るために時間(インプット)を減らしてもできる方法を本気で考えた。

本気になれば知恵がでるもんで、
・原稿を他の人に依頼する
・印刷を空いた時間にする
・親教会にしかない『一太郎』から、自分のノートパソコンから制作できるよう『Microsoft Word』」に体裁を変更。
など具体的に変更していく中で、今まで二日かけてやっていた作業が半日でできるようになった。(なんかごめんなさい)

あとちょっとで、お祈りの時間を省略しようと考えていた自分を大いに反省した。

しかし、これは僕だけでは無いような気がする。むしろそう信じたい。

信仰にとって大切な「神に祈る」「人のために尽くす」という豊かな時間を過ごすためには、一方で他の部分を生産的に過ごすことが必要ではないかと思うのだ。

同じようなことで悩んでいる人は、是非とも今回紹介した『自分の時間を取り戻そう』を読んでください。他にも参考になる部分がたくさんあります。

以上、今回は「教会やお寺での事務作業に追われている人たちに読んで欲しい1冊」という話でした。

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