




僕は、[分人」という考え方を参考にしているので、今回はそれを紹介していきます。
3年ほど前、信者さんに急にこう聞かれました。
「まきのりさんは、信仰の良いところってなんだと思いますか?」と。
突然の質問に僕は焦り「う~んそうですね~」「なんでしょうかねぇ」とかなんとか言って、上手く答えることができませんでした。
あと少しで呼吸困難になるところだったと思います。
何となく思っていることはあるものの、それを言葉にすることができません。
それが非常に情けなくて、その後いろいろと自分の中で考え、勉強しました。
そして考えるうちに、いくつかの自分なりのアンサーを見つけることができたのです。
今日紹介するのは、そんなアンサーの1つです。
よければご覧ください。



分人についてざっくりと
まず前回のおさらいです。
前回、平野啓一郎さんが書かれた『私とは何か』を参考に「分人」という考え方を紹介しました。
僕はこの考え方が非常に気に入っています。
これを勉強したことで、いままでモヤモヤしていた人間関係についての悩みがなくなりました。
さて、そんな分人ですが簡単に言うと
たった1つの自分というのは存在しない。
ということです。
もっと簡単にいうと、周囲の人との関係ごとに見せる、いろんな顔がすべて「本当の自分」だということです。
ここではたった1つの自分、つまり個人という分けられない単位をあえて分けて「分人」と呼びます。
たとえば、僕が90を越えた女性の信者さんと接する態度と、生意気な後輩に接するときの態度は全然違います。
人間がそれほどできていないので、生意気な後輩には多少冷たくしてしまいます。
しかし年輩の信者さんにも同じように冷たく接することは、まずありません。
ですが、どちらかが偽りの自分かと言うと、そういう訳ではありません。
どちらも「本当の自分」なのです。
つまり、人には相手によっていくつもの自分がでてくる。
個人をさらに分けた「分人」という自分が、相手によって変化します。
親との分人、恋人との分人、友達との分人。あいてによって分人を替えながら僕たちは生きています。
これは自然なことです。
良い人生を送るために大切な神さま・仏さまとの関係(分人)を作る
ここからは、この分人を神さま・仏さまとも築いていこうという話です。
僕は神さま・仏さまとの分人を作ることで人生が良くなると思っています。
なぜなら目に見えない「偉大なる何か」との分人は、他の分人にもいい影響を与えると考えるからです。
ちなみに「分人同士が影響を与えあう」という表現は『私とは何か』には書かれていません。
これは僕の私見です。
しかし自体験からそう感じたエピソードがあるので紹介します。
ぼくが彼女を作り、大学デビューを果たした話
高校生のときの僕は、俗に言う「陰キャラ」でした。
もっと簡単にいうと、イケてない奴ってことです。
パッとしないというか、暗かったのです。
そんな陰キャラの僕もなんとか大学に受かりました
これまでの自分を変えようと(内面的な向上は一切を置き去りして)服装や髪形を変え、大学生活に望んだのです。
その努力が功を奏したのか、大学1回生の早い段階で彼女を作ることができました。
しかも年上。しかも美人。
彼女ができたことで、すっかり自信をつけた僕は、他の人との関係も良好になりました。
高校のときの僕を知っている同級生も、何人か同じ大学に入学していましたが、「あいつは変わった」といい意味で言われることが増えたのです。
これは僕の中で彼女という足場となる分人が大きくなったことで、周りの人間関係にも良い影響を与えたのではないかと思います。
神さま・仏さまとの分人を大きくすることで、他の人間関係にも良い影響を与える
彼女ができたことで僕は超絶自信を持つことができました。
さらに今まで交流があった周囲の人との関係にも良い影響を与えたと実感しています。
これは1つの足場となる分人が、相手と良い関係を築いたことで、他の分人にも良い影響を与えたのではないでしょうか。
そして神さま・仏さまとの関係にも同じことが言えるのではないかというのが、今回僕が強く言いたいことです。
神さま・仏さまとの分人を大きくすることで、他の人間関係にも良い影響を与えるというのが僕の主張。
なぜ神さま・仏さまとの分人なのか
僕は、神さま・仏さまとの分人を大きくすることをオススメしています。
いったいなぜ神さま・仏さまなんでしょうか。
ひと言でいうとそれは「安心して足場を作れる存在」だからです。
僕がそう考えるのは、以下の3つの理由です。
- 誰でも神さま・仏さまとの分人をつくることができる
- 神さま・仏さまは居なくならない
- 神さま・仏さまの土台はえげつないくらい足場固い
これから1つずつ解説していきます。
誰でも神さま・仏さまとの分人をつくることができる
1つ目は「誰でも神さま・仏さまとの分人をつくることができる」です。
基本的に信仰すれば、だれでも神仏との関係を築くことができます。
しかし、相手が人の場合はそうはいきません。
実際僕もさきほどの彼女を5年の交際をした後、別れることになりました。
そうなると、もうその彼女との分人を生きることができなくなります。
彼女と別れたあとの僕は、かなりの大ダメージを負いました。
ポケモンでいう「ひんし」の状態です。
また、僕の場合はラッキーにも彼女という分人を大きくすることで自信をつけることができました。
しかし中には良い人間関係を築く相手が見つからないという人もいると思います。
そんな人にも勧められるのが、神さま・仏さまとの分人を築くことです。
神さま・仏さまは居なくならない
当たり前といえば、当たり前ですが、神や仏は居なくなるということがありません。
いなくなるというか、亡くなるということがありません。
もともと姿形のないものですから当然です。
人の場合はそうはいきません。
様々な理由で別れがやってきます。
何度もいいますが、僕は5年間お付き合いをした彼女と別れました。
その時は3日間昼夜問わず泣いていた思い出があります。
そんな自分の足場となる大切な人間関係が崩れてしまった時に、逃げ込める足場を持っておくということが大切です。
それが神様・仏様との分人を持つということなのです。
神谷美恵子さんは『生きがいについて』の中で、足場についてこう語られています。
ひとの生き方を少し注意深く観察してみれば、一般の人びとはべつの世界、次元のちがった世界に足場をもち、べつの価値体系を持ち、べつの生存目標をもって生きているひとが、あちこちにたしかにみいだされるのである。
そういうひとは仏教やキリスト教の枠のなかにも、またその外にもみいだされる。
(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房 239頁)
必ずしも信仰をしなければならないなどと言う気は毛頭ありませんが、別の世界に足場をもつというのは重要なことだと考えます。
神さま・仏さまの土台はえげつないくらい足場固い
2番目で安心して逃げ込める足場をつくることにふれました。
ここではなぜ安心できるのかを別の視点で紹介します。
それは、宗教の教えは普遍的なものが多いということです。
時代はめまぐるしく動いていますが、そんな中でも信仰では動じない部分があると僕は感じでいます。
それは聖書や教典というものの言葉が、本質を突いているからではないでしょうか。
僕自身、信仰をしていていつの時代にも通用するような言葉が支えになっています。
たとえば「人に与えたものは良いものも悪いものも必ず返ってくる。たとえ誰も見ていなくても」という言葉はすごく本質的だなと思ったりします。
これは相手が人の場合、なかなか同じようにはいきません。良くも悪くも人は変化していきます。いつのまにか絡まなくなった友人がいるように、足場が崩れてしまうことがあるのです。
時代が変われど、通用する教えを土台に生きるというのは、えげつないくらい固い足場に立つことだと僕は思っています。
だからこそ安心して乗ることができるのです。
このような3つの理由から、僕は神さま・仏さまとの関係を築いて良い人生を送ることが大切だと考えています。
これを読んでくださっている方はすでに信仰している方ばかりだとは思います。
しかし分人という考え方で信仰を捉えると、また違った見方の信仰が見えて来るのではないでしょうか。
今回の記事が参考になれば嬉しいです。
まとめ
今回は平野啓一郎さんの『私とは何か』を参考にしました。
【分人についてざっくりと】
- ・たった1つの自分というのは存在しない。
- ・もっと簡単にいうと、周囲の人との関係ごとに見せる、いろんな顔がすべて「本当の自分」
【良い人生を送るために大切な神さま・仏さまとの関係(分人)を作る】
- 大学デビューを果たした話
- 神さま・仏さまとの分人を大きくすることで、他の人間関係にも良い影響を与える
【なぜ神さま・仏さまとの分人なのか】
- 誰でも神さま・仏さまとの分人をつくることができる
- 神さま・仏さまの土台はえげつないくらい足場固い
- 神さま・仏さまは居なくならない
今回参考にした本です。
よければ手に取ってみてください。
以上、「【信仰者にオススメ】神さま・仏さまとの良い関係を築いて最高の人生を送ろう」
という話でした。
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