教会やお寺にも「神父」「住職」「会長」といわれるリーダー(トップ)が存在する。
基本的に、そのリーダーが中心となり様々意思決定がされていくのではないだろうか。
僕が所属する宗教では、リーダーとなる人が各教会に1人いる。
しかし、修行の経験や信仰に関する知識はあるものの、リーダーシップをいかに発揮していくかということまでは学ばない。
リーダーシップに関しては独学と言うか、我流なのだ。
「そこは信仰心でカバーだ」と言われているように感じるが、「リーダーシップ」にもノウハウがあると思う。
このブログの中で何度も言っているが、「意思(心)があってもノウハウ(技術)がなければ良い行動にはつながらない」のだ。
だから組織を引っ張っていく上で、信仰者にもリーダーとしてのノウハウが必要。
そう声を大にして言いたい。
ということで、今回はそんなリーダーシップを学んでいこうと思う。
『貞観政要』をざっくり紹介
さっそくまきのりが教会のリーダーにオススメしたい中国の古典を紹介していく。
それが『貞観政要』と言う本だ。
この本は一言でいうと、リーダーシップを学べる古典といえる。
なぜならこの本は中国リーダーの中でも最高峰と名高い人物について書かれた本だからだ。
日本でも、古くは源頼朝や徳川家康といった人物が、この本を読んでリーダーシップを学んだと言われている。
これからこの本についてざっくり紹介していく
『貞観政要』ざっくり紹介
中国史上、もっとも平和で、栄えたと言われる時代がある。
それが「唐」と呼ばれる時代。
今回、紹介する本はその唐の二代皇帝「太宗 李世民(たいそう りせいみん)」という人物に関する本。
※この「太宗」というのは、本人が亡くなった後に送られる称号みたいなもんらしい。なので名前は「李世民」である。
その皇帝 李世民が治めた「貞観(じょうがん)」という時代のお話。
“この時代は「貞観の治」と呼ばれ、この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世に政治的な理想時代とされた。”(引用元:Wikipedia)
そんな貞観の治の秘密を、呉競という人物がまとめて書いたのが本書『貞観政要』である。
ちなみに「貞観」というのは、日本でいう「平成」や「令和」といったものだと考えてもらえればよい。本書の『貞観政要』の「貞観」もここからきている。
そして『貞観政要』の「政要」というのは、政治の大事なポイントという意味だ。
つまり本書のタイトルの意味は「李世民という皇帝が治めた、貞観という時代の、政治の大事なポイント」ということになる。
ここまで偉そうに説明しておいて申しわけないのだが、実は僕が読んだ『貞観政要』は上のものではない。
もっと優しく読める『ビギナーズ・クラッシクス 中国の古典 貞観政要』という本だ。
こちらの本は、『貞観政要』の280項目ある章のうち、ギュッと絞って47項目になっている。
さらには章立ての順番も今の時代の人が理解しやすいように変えられ、解説付きで説明されている。
お酒でたとえるなら『貞観政要』の純米大吟醸といっても過言ではないだろう。
あら、なにこれクセがなくて水みたいに飲めちゃう。
と個人的には思った。
読書が苦手というかたは、こちらを読むのをおススメする。
ではここからはまきのりが、ぜひ教会を引っ張っていくリーダーの皆さんに知っておいてもらいたい、グッときたポイントを3つ紹介していく。
まきのり的グッときたポイント
リーダーたるもの、まずは自分の身を正せ
『ビギナーズ・クラッシクス 中国の古典 貞観政要』では、まず「名君の条件」ということから話がはじまる。
いうなれば「リーダーの条件」ともいえる。
ここで太宗 李世民が家臣に語ったことばが強烈すぎて、のっけからもう最高だった。
さっそく引用しよう。
貞観[年間]の初めに、太宗がおそばに仕える臣下たちに言われた。「君主たる者の道は、必ずまずは人民を存続させなければならない。
もし人民を苦しめてわが身に役立てようとするのであれば、それはまるで、自分の股の肉を割いて自分の腹を満たそうとするようなものだ。
ひととき腹は満たされるかもしれないが、その身は死んでしまうだろう。もし天下を安定させようとするのなら、必ずまずは自分自身を正さなければならない(『ビギナーズ・クラッシクス 中国の古典 貞観政要』湯浅邦弘 20頁)
つまり、リーダーとして自分自身を正すことができなければ、天下を治めることはできない。ということだ。
教会のリーダーとなるような方は、周囲の人に迷惑をかけているということは少ないだろう。(僕はひょっとしたら、迷惑かけてしまっているんじゃないかと、ビクビクしている)
しかし、もしそうだったとしたら、自分の身を正すことから初めるのが大事だと、『貞観政要』は教えてくれる。
「人々を苦しめるのは、自分の股の肉を食べるも同じこと」
というフレーズは、現代人にはちょっと過激に感じるが、非常に的を得ている表現だと思った。一時の幸せを求めると、それが自分の身を亡ぼす。
これだけでも、知ることができて、買ってよかったと思える1冊だった。
作り上げたものを守っていくのは難しい
現在ある教会や寺院の多くは、歴史が古いところも多い。
僕が代表をしている教会も、すでに設立から70年が経とうとしている。
70年前、教会が始まった時にもたいへんなエネルギーが必要だったと思うが、それとは別に、その教会を維持していくというのも大変難しいことだと思う。
というか、実際激ムズだ。
そんな「新たに何かを始めるときの大変さ」と「始めた後、それを維持する大変さ」どちらが大変か、ということが2章の「創業か守成か」というところに書かれている。
創業と守成の意味
創業=新たに何かを始めること
守成=始めたものを維持していくこと
これは教会にもあてはまる部分が多いと感じる。
とくに現代の教会では、「守成」の必要性を感じている人が多いのではないか。
ここからは『貞観政要』の2章で紹介されている「天下を守り続ける難しさ」という項の話をしていく。
まきのり的に説明すると、太宗 李世民も守成に悩み、家臣である「魏徴(ぎちょう)」という人物に「天下を守るのって激ムズだよね?」と聞く。
すると魏徴は「はい、マジで激ムズです」と言い、さらに李世民が「なら優秀な人集めて、意見聞きながら進めたらいいやん」というようなニュアンスで答えたという。
そこからのやり取りが面白いので以下、引用する。
魏徴は言った。「古(いにしえ)よりの」帝王の行状を見てみますに、憂いや危険のある時は、賢者を任用し、諫(いさ)めも聞き入れます。しかし、安楽な状態になると、必ず気持ちが緩んで怠慢の心を懐(いだ)きます。
[諫(かん)ソウを受け付けなくなり]奏上しようとする者を、ただおびえさせることになります。こうして日に日に衰え、ついに国家の危機に至るのです。(『ビギナーズ・クラッシクス 中国の古典 貞観政要』湯浅邦弘 53頁)
諫(かん)ソウとは、目上の人に対して、たとえ言い争ってでも不正を正そうとすること
つまり、「なら優秀な人集めて、意見聞きながら進めたらいいやん」と言った李世民に対して、魏徴が「あ~なるほど、でも昔の人たち見てますと、国がヤバい時は、皇帝も結構まわりの意見きいてくれるんです。
けど、安定してくると気持ちが緩んでくると思いますよ。ほんで周囲の優秀な人が意見を言いづらくなって、最終的に国家の危機に陥っちゃうんです。」
と、答えたということだ。(あくまでニュアンスだが)
つまり、国が危機的な状況のときだけではなく、安定しているときも周りの声に耳を傾けろということだ。
さて、みなさんの教会・お寺という場所においてはどうだろうか。
ひょっとして、周囲の人が意見をいいづらい雰囲気があるのなら、危機が訪れていると思った方がいいだろう。
そんな人の意見を聞き入れられないリーダーにおススメしたいことがある。
それは良い意見やアイデアをくれそうな人に「○○という場合、あなたならどうしますか?」と、こちらから意見をもらうということだ。
これは『貞観政要』には書いていないが、個人的に実践している。
あくまで、まきのりのおススメだ。
だれかれ構わずに聞くわけではないが、困った時や悩んだときは、信頼できる人に意見を聞いてみるというのは大事なことだと思う。
この「周囲の人の意見を聞く」ということこそ、李世民が心がけていたことでもあるのだ。
最後のグッときたポイントは、その「聴く」という箇所をあげていく。
周囲の言葉を聞き入れる努力
最後は3章の「諫める臣下、聞き入れる君主」から紹介したい。
貞観政要の需要なテーマが2つある。
1つは先ほどあげた「守成(始めたものを維持していくこと)」
もう1つが先ほども少し紹介した「諫(かん)ソウ(目上の人に対して、たとえ言い争ってでも不正を正そうとすること)」である。
李世民は、臣下からの諫ソウをよく聞いたことで、「貞観の治」を実現できたと言っても過言ではない。
この諫ソウということが分かる箇所を引用しよう。
諫議大夫(かんぎたいふ)という、偉い役職の王珪(おうけい)という人物が、李世民に対して話をする場面だ。
諫議大夫の王珪がお答えして言った。「私は聞いております。『木は、墨縄に従って切ればまっすぐになり、君主は諫ソウに従えば聖人になる』。だから昔のすぐれた君主には、必ず諫ソウをする臣下が七人いました。」(『ビギナーズ・クラッシクス 中国の古典 貞観政要』湯浅邦弘 77頁)
墨縄というのは、昔、大工が直線を引くときに使ったもので、墨を付けた黒い縄のこと。
つまり、自分に対して言ってくれる優秀な臣下の言葉に耳を傾けることができれば、優れたリーダーとなることができる。ということだ。
一応断っておくが、李世民はだれかれ構わず話を聞いていたわけではない。選びに選び抜かれた優秀な家臣の意見を聞いている。
僕はこれを聞いて、正直こう思った。
とはいえ、これを信仰の世界で考えるときに、大切なポイントが3つあると僕は考える。
それは、
- 考える基準は「教え」から外れないこと
- 話を聞く人も信仰を理解している人であること
- 逆にあえて信仰と関係ない人から話をきくこと
この3つだ。
『貞観政要』を読んでいると、李世民と家臣とのやり取りは、儒学がベースとなっていることが分かる。
つまり同じ土俵で喋るために、ベースとなる「信じられるもの(この場合は儒教)」を共有しているのだ。
それと同じように僕たちも、ベースには信仰を置いて考えるというのは大事なことではないだろうか。
というか、そ仰という基盤を外して教会のリーダーはつとまらないと思う。
しかし、内の人だけに相談するのでは視野が狭くなってしまうことも考えられる。
なので、あえて外の風を入れてみるというのも大事だろう。
そんな外の空気をいれるのに、まず『貞観政要』を読んでみるというのもいいのではないか。
まとめ
では今回の内容をおさらいしよう。
今回紹介したのは、中国の伝説的名著『貞観政要』
この本を一言でいうと、リーダーシップを学べる古典。
まきのりのグッときたポイント3選
①リーダーたるもの、まずは自分の身を正せ
リーダーとして自分自身を正すことができなければ、天下を治めることはできない。
惰性に流れて人々を苦しめるのは、もってのほか。自分の股の肉を食べるも同じこと。
②作り上げたものを守っていくのは難しい
「守成」(始めたものを維持していくこと)はかなり難しいと知る。
すべては安泰だと信じて、気が緩むのが原因。
③周囲の言葉を聞き入れる努力
自分に対して言ってくれる、優秀な臣下の言葉に耳を傾けることができれば、優れた君主となることができる。
同じ土俵で喋るために、ベースとなる「信じられるもの」を共有する。
本日はここまで。
読んでいただきありがとうございます。
以上、【教会・お寺のリーダーにオススメ】中国史上最高峰の名君に学ぶリーダーシップ
という話でした。
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