『築地本願寺の経営学』から学ぶ教会経営

目次

教会の経営について考える1冊を紹介

宗教離れがヤバい。

これは一宗教家の実感としてもある。
僕が今後継ぐであろう小さな教会は田舎にあるため、都会に比べるとまだ変化の波は大きくない。
しかしそれでも思う。「宗教からの離れ方ヤバくない?みんな全力疾走で逃げてない?」と。

多くの宗教家が、ヤバいことは分かってはいるが、具体的にどう動いていいのかが分からない。
何かヒントになるような実際の成功事例はないのかと頭を抱なやませているのではないか。


さて、そんな宗教家のみなさんに朗報がある。

まきのり
あるよ

木村拓哉主演の「HERO」でバーのマスターが言っていたくらいシブい声で伝えたい。
そう、そんな本があるのだ。
それがこの本。


『築地本願寺の経営学』安永雄彦 東洋経済
これはぜひ困っている宗教家の皆さんに読んでもらいたい一冊だ。

この本は宗教界(特に仏教界)の現状を見たうえで、築地本願寺というお寺がイノベーションを起こした軌跡がまとめられている。

先頭に立って指揮をとったのは本書の著者である安永雄彦氏。
実はこの方、もともとバリバリのビジネスマンだったのだが、40代になった時「人はなんのために生きるのか」という問いを抱えながら人生の後半を迎えていたそうだ。

そのとき偶然見つけた「僧侶になれる通信教育」という新聞広告をみつけたことがキッカケで、仏教の世界に入っていかれたというユニークな方だ。

そこから仏教界(築地本願寺)で活動を続けていると、「中にいる人たちではどうしても今までの伝統や固定観念に縛られてしまうから」という理由により変革のリーダーに大抜擢される。

まきのり
なんかちょっとカッコよすぎません?

僕だけですか、そんな風に思うの。

データで見る宗教界

さて、この本ではまず初めに
「寺が今後20年で30%消滅する」という衝撃の予想が書かれている。
理由は三つある。

  1.  人口の減少
  2.  核家族化
  3.  檀家制度の崩壊

どれも最近のデータをもとに書かれているので、説得力がある。
これは仏教に限らず、どこの宗教にも関係してくることなので、本書を手に取ってぜひともその事実を確認していただきたい。

現実から目を背けたい気持ちは誰にでもあると思うが、自分たちの立っている場所が分からなければ、目指すべき場所も定められない。

今までのやり方でいいのだと妄信的に突っ走っても、どえらいことになるだけだ。

宗教は本当に必要とされていないのか。
ここまで読むと「宗教はもう必要ないんじゃないか」とも思うが、ここでは別の視点で日本人が宗教を大事にしているというデータも紹介されている。

ここでは日本人は本来、宗教心というのを当たり前に宿しているのだと語られている。以下、引用すると

その証拠に「宗教心は大切なものである」と答える人は2013年の調査では70%もいます。調査当時の1983年には80%でしたが、1988年からはほぼ横ばいとなっています。(出典:統計数理研究所「国民性の研究 第13次全国調査 2013年全国調査」)
(『築地本願寺の経営学』安永雄彦 44頁)

この引用部分を見て、私は少なからず宗教に光を見いだした。
それまでは「もうダメやん、おしまいやん」と思っていたが、そんなことは無かった。
ただし、だからこそこれからどうするのかがメッチャ大事になってくる。

宗教というものへの光の当て方を変えない限りは、状況は変わらないのは事実だ。

築地本願寺、改革までの道

さて、築地本願寺に話を戻そう。
データをつぶさに見た後に、いよいよ築地本願寺の怒涛の改革が紹介される。

はずなのだが、安永さんが築地本願寺を立て直す際、その界隈では「変えるな!」という逆風が吹き荒れていたようだ。

危機感を感じている僧侶がいる一方で、今までのやり方を望む「守旧派」の人は依然として存在していたようだ。
その人たちを説得するのに、一人気を吐く安永さんの言葉がシブい。安永さんはお寺に関わる人たちにこう呼びかけている。

築地本願寺のやり方は40年遅れています。(中略)
外から見たら時代遅れなのに、中にいる皆さんは遅れていると全く自覚していない。(『築地本願寺の経営学』安永雄彦49頁)

この一言を聞いて、私はゾッとした。
自分のことを言われているように感じたからだ。(あとちょっとカッコいいなとも思った。いつか自分も使う側に回ろうとも思った)

僕自身もそうだが、周りでも全く自覚していないという人もいる。
また危機感を感じながらも、まだ大丈夫と思いながら過ごしているような雰囲気の人もある。

よくビジネス本などでは紹介される話だが、茹でガエルの話を思い出した。
カエルというのは、熱湯に入れられると反射できに逃げ出すが、はじめは水で徐々に温度を上げられると、変化に気がつかずにそのまま熱湯に浸かり続け、そのまま死んでしまうという話だ。(実際は逃げるらしいが笑)

もうまさに我がことを言われているような気がしたのだ。
この時点で、私としてはこの本から教えを乞う気持ちで溢れていた。

さて、ここからは実際に築地本願寺がいかに動いたのかを見ていきたい。
安永さんは多くのイノベーションを進めているで、今回はその中で僕が一番グッときた箇所を私見も交えながら見ていきたい。

目標を決めて、ステップを踏んでいった築地本願寺。

築地本願寺はここから怒涛の改革を始める。
実際にはスローガンを決め、改革案をだして具体的に進めていく様子がかかれている。

まず初めに目標を決める安永さん、そういえばピーター・ドラッカーもこんなことを言っていた。

重要なのはカリスマ性ではない。ミッションである。
したがってリーダーが初めに行うべきは、自らの組織のミッションを考え抜き、定義することである。(『非営利組織の経営』ピータ・ドラッカー2頁)

築地本願寺のミッション、めっちゃ定義してました。
この辺り、本当はもっと言いたいことがたくさんあるんだけど、読んでもらいたいのでグッとこらえます。

ミッションに関しては別の記事で紹介しているので、そちらをご覧ください。

まきのりの教会運営塾
【教会・お寺でも実践できる】ドラッカーから学ぶ、非営利組織の経営 | まきのりの教会運営塾 教会に経営学は必要ないのか 僕自身言われたことはありませんが、「教会に経営学は不要」ということを何となく思っている人は多い。 皆さんはどうでしょうか。 この言葉は...

まきのり的グッときたポイント

築地本願寺が具体的な改革案を進める中で、個人的に1番面白いなと思ったポイントがある。

それは築地本願寺周辺の木を切り、外からお寺がも見えるようにするという下りだ。

お寺に生えている木とは檀家さんから寄進されたものなので、その気持ちを考えるとなかなか切れない。というのが、お寺側の心情だろう。
だが、築地本願寺の場合は、木が鬱蒼としすぎて閉鎖的な雰囲気になってしまっていたのだとか。

そこにメスを入れた、否、斧をいれたのが「突然よそからやってきた、よそ者」の安永さん。
たしかにこれはよそ者にしかできないかも(笑)

これって言うなれば築地本願寺は「引き算した」のだと僕は考える。
『引き算する勇気』にはこう書かれている

すべての人に好かれる企業は存在しない。すべての人を対象にしようとすると、誰からも受け入れられなくなる。(中略)
誰からも嫌われない=誰からも好かれない
安易に顧客に合わせるのではない。しっかりとした「軸」を持って、顧客の一歩先を行くことが大切だろう。(『引き算する勇気』岩崎邦彦 54頁)

本当に大事な「軸」がどこなのかを見定めて、それ以外の部分を削ぎ落す。
今回の築地本願寺もまさに引き算によって、本来ある魅力を最大限に引き出そうとしたんじゃないかなと考える。

檀家さんが寄進してくれた木というのは大切にしないといけないが、それによってお寺の魅力が失われてしまっているのでは、残念なことになる。

でもこういうことってあるよな~と思う。
お客さんからもらったものを飾りすぎて店のテーマがブレブレの居酒屋みたいなもんかもしれない。

まきのり的視点

ここで最後に、まきのり的視点をお伝えします。

今回紹介した築地本願寺の場合は、かなり大掛かりで規模がでかい。
本書で具体的なアクションとして紹介されているのも「インフォメーションセンターを作る」とか「会員制度の倶楽部」などのガチ感がかなりあるもので、すぐに参考にできるかというと中々そうはいかない。

そこで僕がオススメしたいのは「教会(お寺)のホームページを作ろう」ということだ。

それですらハードルが高いやん。と思われるかもしれないが、これが案外このご時世簡単にできちゃうのだ。

ちなみに僕も無料サービスの「ペライチ」というサイトでホームページを作った。
とりあえず第一歩を踏み出したいという方にオススメのサービスだ。何かを始めるとき、まずは小さく始めるということが大事だと思う。

またこのホームページに関しては別途記事を書く予定なので、少々お待ちください。

では今回はこの辺で!
紹介した『築地本願寺の経営学』は前半部分のみのグッときた部分を紹介したが、他の部分もめちゃくちゃ勉強になるので、また別途紹介する。
実はこの中には、経営のノウハウがギュッと詰まっている。

以上、「『築地本願寺の経営学』から学ぶ教会経営」という話でした。

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