【信仰エッセイ】アウトレットパークに行ってマジで感動した話

先日、アウトレットパークに行きました。

娘の保育園の入園式が近いので、そこで着るオシャレ丸出しのスーツを買いにいこうと思ったからです。

もともと持っているスーツは大学入学のときに買ったもので、お腹周りがきついのと、ちょっと若者向けすぎるという理由から、妻に「これはもう買い替えよう」と言ってもらって踏ん切りがつきました。

コロナ禍で外出を控えていたこともあり、ひっさしぶりのアウトレットパーク。

いや~、やっぱり苦手だわ、こういうところ。
なんか落ち着かないんですよね。

とりあえず行く前に目星をつけていったA店にはいりました。

なんか良さそうなものを着てみたのですが、はっきり言って分からん。
なんかちょっと大きいような気もするし、ちょうどと言われたらちょうどな気もする。

妻に聞いても「分からんわ、ちょっとお店の人に聞いてみよ」ということでスタッフの人に声をかけてみました。

声をかけた人に理由を説明したところ、なんか上司っぽい男性のスタッフの方が登場。
用途を説明した後、実際に迷っているスーツを着て、見てもらうとスタッフの方は

「そうですね~、サイズでいうと許容範囲です。ただ、ちょっと腕の丈が2㎝ほど長いです。

うちとしてはこれを買ってもらうことをオススメしたいのですが、高い買い物ですし、せっかくアウトレットに来ていただいてるので、他店を回ってみるのもいいかもしれません。

例えばB店さんでしたら、うちより品ぞろえありますよ」と。

このスタッフさんの言ったことばが衝撃的だった。
そしてめちゃくちゃカッコいいと思いました。

「この人、全然売る気ねぇ」と心の中でツッコむ。
でもそれが逆に信頼できるなと思ったのです。

今はそういう売り方が主流なのかもしれませんが、そのスタッフさんの言い方がかなり自然な感じだったので、余計にかっこよかったです。

スタッフさんの言う通り、他店にいって、さらにその日は他店で買ってしまいました。

けど僕は今度アウトレットに行った時には、はじめに入ったお店にもう一度行きたいなと思いました。

初めにいったA店は、僕というお客を逃がしたのかもしれません。

売上はマイナス1です。しかし、なんというか信頼はプラス5くらいされているように感じました。

もし今度僕が誰かにお店を勧めるとするならば、確実にA店を勧めます。「とりあえず1回A店いっとけ。あそこの〇〇さんなら間違いないから」と。

というか、これって信仰者としても、信仰を勧めるとき、こっちのほうがよくないか? と思いました。

そもそも服と信仰って似てるんですよね。

前にもどこかの記事で書きましたが、どっちも「スタイル(様式・型)を提供している」と僕は思います。

服の場合は目に見えるものなので、分かりやすいです。

「これがカッコいいと思います」「あなたに合っていると思います」
ってな感じで、相手の体や雰囲気に合うスタイルを提供している。

信仰の場合も、目には見えませんが心に合うスタイルを提供しているとも考えられます。

「今まで心のスタイル(心の服)だとなんか人間関係うまくいかないんだよね」という人に、「あ、それならうちのスタイル、心に着せてみます? 1回試着もできますよ」てな感じで。

そういう意味で、僕は似ていると勝手に思っています。

「ぜひうちで!」みたいなんより、本当に相手の話をきいた結果、なんかそれうちの宗教じゃなくてもいいよなと感じたら、「あっちのお寺のスタイルのほうがあっているかもです」とか、

「あの~大変申し上げにくいのですが、あなたの場合は一旦役場で〇〇の補助金をもらったほうがいいかもしれません」くらいにいえる方がいい気がします。

あまりにもゴリ押しで「うちの信仰をしたら助かります」ってなんか怖いし。

僕だったら嫌だなと。

たとえば寒い冬にお腹が空きすぎて動けない人に、神さまの教えをこんこんと説いても伝わらない訳で。

やっぱりそのとき、その人にあった「助け方」があると思います。

寒いのなら、まず温かい場所へ。
お腹がすいているのなら、温かい食べ物を。

本当に困っている人を前にしたら、そういう態度をとれる方がカッコいいと思ったのです。

なんか、そっちのほうが信仰者だなと。

いや、だからといって、ゴリゴリに布教する人を否定したいわけではないんですけど。
僕はそう思っただけです。

かっこいい店員さんに出会い、感動し、自分の信仰者としての在り方を考え直せたいい機会でした。

ほんで、買い物ほかの所でしてすみません。
また今度こそおたくで買い物します。

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