【宗教家にオススメ】人に寄り添っていきたい人が読むべき漫画『逢沢りく』を紹介

教会のひと
人に寄り添うことについて、学べる本ってないかな?

普段本とか読まないから、できれば漫画とかであるといいなぁ。

まきのり
ありますよ。
『逢沢りく』という漫画がオススメです。

『逢沢りく』という上・下巻で出ている漫画があります。

これがすごぶる面白かったというか勉強になりました。

人に寄り添うってどういうことか。
そんなことを考えさせられる作品です。

宗教家としても大切だと思うポイントが多数あったので、感想をかねていくつか紹介していきたいと思います。

特にこの作品では「贈与」ということが語られているように感じました。

その贈与という観点からもこの作品を読み解いていきたいと思います。

まきのり
ではいきまっしょい。

目次

本をざっくり紹介

今回紹介するのは『逢沢りく(上・下巻)』というマンガです。

作者紹介

ほし よりこ

1974年生まれ

関西在住の漫画家。
嵯峨美術短期大学卒業。

インターネットサービスのサイト「@NetHome」上で連載されていた『きょうの猫村さん』が人気を呼び、2005年7月にマガジンハウスより単行本第1巻が発行された。

Wikipediaより引用

あらすじ

東京に住む女子中学生の「逢沢りく」が、家庭の事情から単身で大阪の親戚の家に住むことになる話。

大人の勝手な事情に巻き込まれ、人を信用できなくなっていた逢沢りくだが、大阪の家での生活のなかで少しずつ心が揺り動かされていく。

人と寄り添って生きていきたい宗教家が参考にしたい3つのポイント

ではここからは、『逢沢りく』の中で、僕が「これはタメになった」と思ったポイントを挙げていきます。

僕がタメになったと感じたポイントは3つです。

  • 人の出入りがあることで逆に風通しが良くなる
  • 周囲の人がとにかく贈与(愛情)を送り続ける
  • 遅れて贈与(愛情)を届ける

これから1つずつ解説していきます。

ネタバレにならないよう、注意しているので、もしまだ読んでいない方は先に読んでからこのブログを読んでいただけると、より意味がわかると思います。

人の出入りがあることで逆に風通しが良くなる

『逢沢りく』は上巻では、りく本人の東京での生活が描かれます。

りくの東京での生活は、周囲からみると羨ましいような生活です。

父はアパレルのイケメン社長で、母はなんでも完璧にこなす「できるママ」。しかしそんな家族の中には、周囲の人にには言えないわだかまりが存在しています。

核家族ならではといいますか、周りの人が介入しにくいことで起こる問題が、りくの家族でも起きている印象です。

思想家の内田樹さんは、文化人類学者のレヴィ=ストロースを引き合いに出しながら、核家族の風通しの悪さについて言及しています。

お父さん、お母さん、子どものこのセット。これを基本にして考えるというのがたぶん問題なのです。

風通しが悪すぎます。

家の中にこの夫婦親子の三角関係に切れ目を入れるような存在がいないと、たぶん家庭は息苦しいものになってしまいます。別にこれはぼくが言ってることではありません。

レヴィ=ストロースによれば、ほんらい親族の基本構造は四項関係です。(中略)親の代の水準に自分と同性の大人が二人必要なのです。

(内田樹『疲れすぎて眠れぬよるのために』角川文庫 216頁)

家族に親の同世代(おじさん、おばさん)がいると風通しがいい家になる。

そのわだかまりや、母との関係が悪化したことが原因となり、りくは上巻の後半で大阪の親戚の家にすこしの間預けられることになります。

りくだけが大阪に引っ越すのです。

その大阪の家での経験がりくを大きく変えていきます。

大阪の親戚である大おばさんの家での生活は、たとえるならでっかい洗濯機みたいだなと僕は感じました。

それまでの上品な生活とは打って変わって、ひっきりなしに人が出入りする大おばさんの家で、りくは心身ともにもみくちゃになっていきます。

見ていて思うのが、大阪に来てからりくの表情がどんどん豊かになっているということです。

東京での両親だけの生活は、周囲の人からすると、一見羨ましい生活に思いますが、りく自身には閉塞感があったように思います。

大阪での生活は多くの人がかかわる分、はじめはストレスに感じているような描写も多いのですが、だんだん慣れていき、馴染んでいっているのがわかります。

馴染んでいくという意味で、特に印象的だったのが、三重(伊勢)の名物、赤福を食べるところです。

大阪のものは口に入れたくないと思っているりくですが、三重が近畿というよりも東海に近いということを知り、それならいいかと思って赤福を食べるのです。

まきのり
なんというか、ほっこりする場面だね。
少しずつ気持ちが東京から大阪に寄っていってる感じがするね。

こうしたりく自身の変化もあり、風通しがよい環境になったことで、心が動き続けます。

環境というのは本当に大事だと思わされる場面です。

周囲の人がとにかく贈与(愛情)を送り続ける

大阪に行ったりくに多くの人が、贈与(愛情)を送ります。

面白いのは、りくがどう思っているのかはお構いなしで、周囲の人がおせっかいをやき続けているということです。

りくは大阪に来てからも、「ここに居たくない」という態度を隠しきれていないところがありますが、おばちゃんを始め、多くの人がそんなことは関係なしでりくに愛情をもって接し続けています。

中でもおもしろかったのは、おばちゃんが自分の若いときの服を、りくに着せようと一生懸命になっているところです。

せやけど、ちょっと ちょっと出してみるわな、見るだけ、な、な (中略)

ほらっどない? かいらしやろ(可愛らしいやろ)?!

※括弧は引用者によるもの

『逢沢りく(下巻)』54.55頁

漫画でりくの表情を見ると、絶対に履きたくありませんという感じが出まくってますが、そんなことはお構いなしです。

りくのことが可愛い一心でやっている。

そして自分のお下がりが似合うのではないかというおせっかいをやき続け、最終的には着せてしまいます。

この辺り大阪っぽいなと、にんまりしてしまうところです。

でもこういうおせっかいって大事だと思います。

今の時代、周囲の人に干渉しないことが美徳というか、そういうのが良い人間関係だとされている節がありますが僕は疑問に思うところもあります。

皆さんはいかか思われているでしょうか。

おせっかいについて、これまた内田樹さんがブログで書いていることが面白かったので引用します。

ビジネスの現場において、「私の仕事」と「あなたの仕事」の隙間に「誰の仕事でもない仕事」が発生する。

これは「誰の仕事でもない」わけであるから、もちろん私がそれをニグレクトしても、誰からも責任を問われることはない。

しかし、現にそこに「誰かがやらないと片付かない仕事」が発生した。

誰もそれを片付けなければ、それは片付かない。

そのまましだいに増殖し、周囲を浸食し、やがてシステム全体を脅かすような災厄の芽となる。

災厄は「芽のうちに摘んでおく」方が巨大化してから対処するよりずっと手間がかからない。

共同体における相互支援というのは要するに「おせっかい」ということである。

最初に「災厄の芽」をみつけてしまった人間がそれを片付ける。

誰もが「自分の仕事」だと思わない仕事は「自分の仕事」であるというのが「労働」の基本ルールである。

(引用元:内田樹『「おせっかいな人」の孤独』内田樹の研究室』

誰の仕事でもない仕事は、最初に見つけた人が片付ける。
これをしないと後に問題が巨大化する。

引用文はビジネスの現場についての内容ですが、これはそれ以外の場所でも同じことがいえるのではないでしょうか。

ここででてきた大阪の大おばさんの家の々は、言い方はよくありませんが、実におせっかいです。

だって、自分のこどもでもない親戚を家であずかるんですから。

現代の日本でそんなことをする人って少数だと思います。

しかし、本当に困っている人、悩んでいる人には誰かがおせっかいをやく必要があると僕は思っています。

少なくとも宗教家は、そういう気持ちでいなかったら値打ちがあんまりないんじゃないかなと。

「それは自分の問題じゃないから」と思ってほったらかしにしていると、あとあと手が付けられない問題になってしまう。

そうならないために早めに問題解決に向き合うおせっかいな人が必要なのです。

もちろん無理強いをして、相手の迷惑になっていたらダメですけどね。

本書の主人公のりくも、おせっかいな人に囲まれたことによって、次第に周囲の人と心を通わせることができるようになっていっています。

そういう意味でここに出て来る大阪の人たちは非常に勉強できる部分があります。

遅れて贈与(愛情)を届ける

人の心が動くのはどんなときか。

僕は、遅れた贈与(愛情)が届くときだと思います。

これに関しては、別の記事で書いているので、詳しくはそちらをご覧ください。

タイトルは全然ちがいますが、内容は「贈れた贈与」について扱っています。

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遅れて届く贈与という表現は近内悠太さんが『世界は贈与でできている』の中で使っている表現です。

僕はここが気に入っているので、他の所でもよく引用しています。

贈与者は名乗ってはなりません。名乗ってしまったら、お返しがきてしまいます。

贈与はそれが贈与だと知られない場合に限り、正しく贈与となります。

しかし、ずっと気づかれることのない贈与はそもそも贈与として存在しません。

だから、贈与はどこかで「気づいてもらう」必要があります。

あれは贈与だったと過去時制によって把握される贈与こそ、贈与の名にふさわしい。

(近内悠太『世界は贈与でできている』93頁)

贈与(愛情)は遅れて届くとき、1番正しく相手に届く。

それが分かる場面があります。

大阪に行ったりくですが、そろそろ東京に帰るという時期がきます。

しかしここで、りくのことが大好きな大おばさんの孫、時男君からの遅れた贈与が届きます。

ネタバレになってしまうので、ここでは書きません。

詳しくは『逢沢りく(下巻)』182頁あたりをご覧ください。

その贈与をキッカケにして、あれほど東京に帰りたがっていたりくは、もう少し大阪にいようと決意するのです。

これは漫画の話ですが、宗教者としても大事にしたいポイントだと感じています。

いつか届くといいなと思いながら、自分の持っているものを陰ながら差し出す。

すぐに受け取れるものは、相手に気兼ねをさせてしまうので、あえて陰ながら差し出すということが大事だと思います。

まとめ

以上、『逢沢りく』を読んで感じたことです。

まとめ
  • 人の出入りがあることで逆に風通しが良くなる
  • 周囲の人がとにかく贈与(愛情)を送り続ける
  • 遅れて贈与(愛情)を届ける

この3つは、人に寄り添っていく宗教者にとっても大事なポイントだと思います。

まだこの漫画を読んでない人はぜひ読んでみて下さい。

ユーモアがある中にも、グッとくるところがあります。オススメです!

以上、「『逢沢りく』から学んだ、悩みを抱えた人への寄り添い方」という話でした。

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