裸の王様になりやすい教会のトップ
そもそもお話を聞いてくれないんだよね。
めっちゃわかる。僕もです。
でもそれ、自分に原因があるかもです。
これはあくまで個人の意見だが、教会やお寺のトップは「裸の王様」になりやすい。
なぜなら、神の使い的なポジションのためだ。
なにか間違ったことをしていても、まわりが非常に言いづらいのだ。
例えば最初にあげだ「話を聞いてくれない」という悩みがあるとする。
それは、話を聞いてくれないというより、「話が面白くない」「専門用語ばっかり分からない」などの原因が考えられるだろう。
信者さんとしても「会長・神父・住職」といった、いかにも偉そうな立場の人に、面と向かって「つまらない」とは言えない。
なんなら「つまらない話を聞くのも修行だ」と考えたり、さらには「私の勉強が足りなくて理解できないのかも」と思っているのかもしれない。
みたいな感じだね
そのため、信者さんや檀家さんとドンドン距離ができてくる。
むしろいっそ「あなた裸ですけど大丈夫?」と言ってもらいたいくらいだ。
このあたりは、もう自分自身で自覚して直していくか、言いやすい雰囲気を作っていくしかないのだろうが、どうしたらいいのだろうか。
次章で、そんなあなたにオススメしたい本を紹介する。
では、いきまっしょい。
『心の処方箋』について、ざっくり紹介
そんな時に読みたいのが今回紹介する『心の処方箋』だ。
まずざっくりと著者と内容について説明する
河合隼雄(かわい はやお)
1928年兵庫県生まれ。
臨床心理学者。
京都大学理学部卒業。
1962年よりユング研究所に留学、ユング派分析家の資格取得。
京都大学教授、国際文化センター所長、文化長官を歴任。
2007年逝去。
『心の処方箋』内容
1話4ページのエッセイが、55編入っている短編集。
心理学に関わることが主な内容。
1話ずつ読めるので、車の中とかに入れておいて、スキマ時間に読むのがオススメ。
はじめに断っておきたいのだが、この本は心理学に関する本だ。
なので、僕が今回話したい「人を導けずに悩む、教会のトップが知っておきたい2つのこと」
というような内容は全くでてこない。
出てこないのだが、『心の処方箋』の中で話されていることが「ぜひこれは教会のトップに聞いてもらいたい」と思う内容だったので紹介する。
著者の河合隼雄さんの言葉には、人を責めるような響きがない。
しかし、「これは自分に言われている」と思い、反省する部分がけっこうある。
なんというかこの本は、優しく包むように、自らの心を反省させてくれるのだ。
そんなまきのりが反省したポイントを次項で上げていこう。
教会のトップに伝えたい、まきのりが反省したポイント2選
非の打ち所がない話は、逆にモヤモヤする
『心の処方箋』のなかで「マジメも休み休み言え」という項がある。
この項を読んで、神様の教えを知っていることで、相手を丸めこんでしまっていないかと反省した。以下、引用する。
ともかくマジメだが、何となくその人に嫌われたり、うとんじられたりする人がある。言うこともすることもマジメで、その人の話を聞いていると、「なるほどもっとも至極」というわけで反発の余地がない。
もっともだと思いつつ、しかし、心のなかで妙な反発心が湧いてきたり、不愉快になったりしてくる。(『心の処方箋』河合隼雄 58頁)
宗教の教えの多くは、本質をついていることが多い。
なので、言われた方は納得をせざるを得ない。
しかし、その時、言われた相手のこころにはモヤモヤが残っていることがあるのだ。
では、どうすればいいのか。
それは「相手に対して心をひらくだけの余裕をもつこと」が大事だという。
さらに余裕のある人からは笑い(ユーモア)が生まれると、河合隼雄さんは語る。
マジメな人は自分の限定した世界の中では、絶対にマジメなので、たしかにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。
マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じることがある。自分の限定している世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在することを認めること、これが怖くて仕方ないので、笑いのない世界に閉じこもる。
笑いというものは、常に「開く」ことに通じるのである。(『心の処方箋』河合隼雄 60.61頁)
上の引用箇所を読んで、僕は猛烈に反省した。
自分は宗教という世界に籠って、マジメにやっていたと感じたのだ。
しかしそれは、逆にいうと他の世界が怖かったことに他ならない。
そんな僕の世界にユーモアなどなかった。
正しくはあっても他の人から心の底から納得はしてもらえていなかったと思う。
しかもこの話も、河合隼雄先生はユーモアをもって語られているのだ。
だからこそ、僕は反省できたといえる。
そこからは相手の目線を意識して話をするようになった。
例えば、話す相手の興味のありそうなことを、話の中に盛り込んでみたり、はじめにバカ話をしてみたりした。
あとこれは僕のオススメなのだが、話の中に「自分の失敗談をいれる」と笑いにもなり、相手も聞きやすい。
なんなら相手も、「そういう失敗、私もしてしまうわ~」と共感してもらえることが多い。
ぜひやっててほしい。
それだけでも、聞く人の反応が違ってくるのが分かった。
権力の衣を脱ごう
次に紹介するのは「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」という項だ。
ちなみに権威と権力の違いを、本書を頼りに説明しておこう。
- 権力とは、
支配者が、組織・立場・お金などを後ろ盾にして、支配される人に与える強制力 - 権威とは、
その道の分野で優れた人であり頼りがいのある存在・人。
河合隼雄さんによれば、人はエライ自分を守るために権力を使いたいときがあるのだという。
ここでは中学校の先生と生徒を例にして紹介されている。
たとえば生徒が意表をついた質問をする。
※この質問はまきのりが勝手にかんがえたもの。
そんな時、先生は困ってしまい、頭ごなしに、
といってしまうことがある。
生徒は黙ってしまうかもしれない。
しかし先生が権力を使うことで、権威が落ちるのは明らかなのだ。
では、どうすればいいのか。以下、引用する。
このようなとき、まず、教師として持っている権力を棄ててかかることが大切だ。(中略)
「君の質問は面白いが、今すぐには答えられない。来週までに考えてくる」と言って、次週にそれなりの答をすると、権力を行使することなく、自分の権威を守ったことになるし、ひょっとして、その権威は高まったことになるかもしれない。(『心の処方箋』河合隼雄 186頁)
こう考えてしまったのが、私だけでないことを願う。
しかし、河合隼雄さんは「権威」というのはそもそも努力によって得ることができるものだという。
権威は努力によって「磨かれる」もので、安易に手に入れることが出来ないものである。(『心の処方箋』河合隼雄 188頁)
つまり、権力や権威というのは、他人から与えてもらうものではない。
自分で磨き、作り上げるものなのだ。
ここも、個人的に超絶反省したポイントだ。
自らの努力無くして、権力だけに頼っていると、人からの権威を失う。
思えば僕は、(ありもしない)権力ばっかり使っていた。
もし権力にポイントがあるとすれば、完全にポイントは「0」だったと思う。
そんな人間に権威などあるはずがない。
人に話を聞いてもらいたかったり、何かお願いしたりするときは、権力じゃなくて努力が必要になるのだと、知ることができた。
この話を読んで僕が大事にしているのは、「知らないことは、知らないと素直に言う」ということだ。
そして、ちゃんと調べる。
長い目で見ると、この方が相手からも信頼してもらえる。
この本に出あえて本当に良かった。
まとめ
さて、最後に今回のまとめをしていこう。
今回は、河合隼雄さんの『心の処方箋』から、「人を導けずに悩む、教会のトップが知っておきたい2つのこと」について考えた。
2つの視点は以下の通りだ
1.非の打ち所がない話は、逆に人をモヤモヤさせる。
それよりも、相手に対して心をひらくだけの余裕をもつことが必要。
そのためには笑いが大事になってくる。
ポイントは「自分の失敗談を語る」こと。
2.権力の衣を脱ごう。
権力を使うと、権威が落ちる。
権威は誰かに与えてもらうものではなく、自らの努力で作っていくもの。
ポイントは「知らないことは、知らないと素直に言う」こと。
この本は、勉強になることがたくさん詰まっているので、ぜひ自分の本棚にいれておくことをおススメしたい。
では、今回はこの辺で。
以上、「信者さんとの人間関係に悩む、教会のトップが知っておきたい2つのこと」という話でした。
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