【教会やお寺の今後】宗教がAIに代替えされないために大切なたった1つのこと[後編]

この記事は宗教がAIに代替えされないために大切なたった1つのことの後編です。
前篇をまだご覧になっていない方は、そちらからご覧ください。
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教会のひと
なんか前回、「宗教は必要」と言いながら、さらに「でもそれすらも気を付けないとAIにとって代わられる」って言ってたけど、あれ何なの?
まきのり
今回はそのあたりを説明していきます。
僕の持論ですので、参考程度に聞いてくれると嬉しいです。

ではいきまっしょい。

目次

前回のおさらい

さて、まず[前編]のおさらいをしたいと思います。

おさらい

  1. 現在は困ったことが起きた時にスマホで検索してから専門機関に相談するといったケースが多くなってきている。
    宗教はもはや必要ないのではなか。
  2. 以前に「宗教は必要なくなったわけではないが、守備範囲が狭くなってきている」と教授に教えてもらう。
  3. 現在の宗教の守備範囲は「生」と「死」のような科学では解明できないことではないか。
  4. 科学では解明できない「創造神話」を大切にしよう。

これが前回話した内容の要約です。

まきのり
今回は、宗教の守備範囲が狭まってきたと言ったけど、気を付けないとその守備範囲すらなくなっちゃうよということをお話します

何度もいいますが、あくまでも持論です。

最近見ているYouTubeが面白すぎる件について

ここからは最近あった僕の話をします。

最近、自分が身をおく宗教に関するYouTubeがたくさんでてきたので、よく見ています。

これがまた面白いんです。
教えが体系的に説明されていて、僕が説明するより俄然分かりやすい。いや~すごい人っているもんだなと思うのです。

さらにグーグルで自分が信仰する宗教について調べると、教えについても簡単に検索できます。こちらも僕自身が説明するより分かりやすい。

まきのり
いや~ははは、こりゃすごいわ!

そして僕は一息ついてこう思うのです。

まきのり
……もうこれ、ぼく必要なくね?

これだけの情報がでているなら、調べたい人は自分で調べるだろうし、信仰者の意味っていったい何なんだろうという気にさえなります。

ネットで調べれば教えに関して何でも出てくる時代に、信仰者が人々に届けられるものっていったいなんなのだろう。

そんなことを白目で考えていました。

信仰者にはできて、AIにはできないこと

そんな半ばあきらめムードだった僕ですが、ある本を読んで、ハッとしました。

それは藤原和博さんが書かれた『10年後、きみたちに仕事はあるのか』という本です。

もともと学校の先生に向けたメッセージだったのですが、これは信仰者にも同じことが言えると思ったのです。以下引用します。

どんなにネット上に知識が蓄積されても、その前に立つ先生の仕事はなくならない。子どもたちを動機づけたり、時には叱ったり背中を押したり、勇気づけたり……。

そうした人間にしかできない仕事がますます大事になってくる。
(藤原和博『10年後、君たちに仕事はあるのか』144頁)

 

教えるマシンとしていかにロボットが完璧になったとしても、学ぶ喜びを教えることはできないだろうと考えるからです。

君もそうだと思いますが、子どもって、教えている大人というよりも、学んでいる大人から多くを学ぶものなんです。
(藤原和博『10年後、君たちに仕事はあるのか』150頁)

先生にできてロボットにできないこと。
それは学ぶ喜びを教えること。

これを信仰者に置きかえて考えてみるとどうなるでしょうか。

AIは教えを説明することは出来るが、「信仰の喜び」までは伝えることができない。
ということかと思います。

この本の1節は衝撃的でした。
信仰者として、今後何が必要なのかが分かったような気がしたのです。

信仰者は自らの言葉で語ることが大切

さて、ここまでの[前後半]に分けて書いてきた結論をいいます。

「信仰者は自らの言葉で語ること大切」

これが今回2回に分けて語ってきた僕の結論です。

なぜ「自らの言葉で語る」ことが大切なのか。
前の章でほとんど答えがでていると思いますが、もう一度まとめると「教え自体は、調べれば簡単にスマホで出てくる」からです。

教祖や宗祖の教えは尊いものであることに変わりはありません。
しかし、開祖の言葉をそのまま引用して語ることはロボットにでもできるのです。

まきのり
というか、昔の言葉でわかりづらいということもあるよね。

それよりも、教祖の言葉を受けて、自らがどう変わったのか、どう感じたのかという「喜び」こそがこれから大切になってくるのだと思います。

これはAIには代替えされないからです。(今のところ)

一信仰者として、「自らの言葉で語る」ということを今実践しています。

まとめ

では最後に今回語ってきた「宗教はAIに代替えされてしまうのか」ということについてまとめます。

まとめ

【前半部分】

  • 現在は困ったことが起きた時にスマホで検索してから専門機関に相談するといったケースが多くなってきている。
    宗教はもはや必要ないのではなか。
  • 以前に「宗教は必要なくなったわけではないが、守備範囲が狭くなってきている」と教授に教えてもらう。
  • 現在の宗教の守備範囲は「生」と「死」のような科学では解明できないことではないか。
  • 科学では解明できない「創造神話」を大切にしよう。

【後半部分】

  • インターネットの発達によって簡単に情報を得ることができる時代になった。
  • 宗教の教えも、分かりやすく説明してくれる人が現れた。
    このままAIがどんどん発達していけば、信仰者も必要ないのではないか。
  • しかし、教えを説明することはAIでもできるが、信仰の喜びを伝えることはできない。
  • 信仰者は自らの言葉で語ることが今まで以上に大事になる。

以上、「【教会やお寺の今後】宗教がAIに代替えされないために大切なたった1つのこと[後編]」

という話でした。

 

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