今回は前回に引き続き『お寺の教会書』の内容を紹介していきたいと思います。
本の中で『寺報』の取り組みが紹介去れていたのですが、その取り組みはうちの教会で、すでに実践していたことでした。
また『お寺の教科書』を読んで、「あ、たしかに言われてみればそんな効果もあるな」ということにも気がつきました。
今回はそんな自分の体験談を踏まえながら、『寺報』のススメを語っていきたいと思います。
今回参考にするのは松本紹圭さんと井出悦郎さんの共著『お寺の教科書』です。
〇松本紹圭(まつもと しょうけい)
一般社団法人お寺の未来代表理事。
浄土真宗本願寺派光明寺僧侶
東京大学文学部卒業
〇井出悦郎(いで えつろう)
一般社団法人お寺の未来副代表理事。
東京大学文学部卒業。
【本書の内容】
「これからのお寺をどうしたらいいのか」に悩むお寺の関係者に向けて、新しいお寺のあり方を提案する1冊。
松本紹圭さんが考える寺報の魅力
先述したとおり今回は『寺報』にスポットをあてて記事を書いていきます。
まず、松本さんが『寺報』について書いておられる箇所を引用します。
お寺の考え方を伝える伝統的なコミュニケーション手段として、寺報があります。
一般的に、住職の法話やお寺の行事情報が載っているというのが寺報の典型的な内容です。
寺報はお寺にとって重要な取り組みでありながらも、発行がマンネリ化し、自己目的化していることがよくみられます。
しかし、お寺としてこれからのコミュニティを作っていくには、寺報はとても大きな可能性を秘めています。
(松本紹圭 井出悦郎『お寺の教科書』徳間書店 226頁)
寺報はマンネリ化しやすいので注意が必要だが、コミュニケーション手段として大きな可能性を秘めている。
これは僕も実際にやってみて思ったことですが、寺報(うちの場合は教会報だけど)は非常に大きな可能性を秘めています。
ただし、本当にマンネリ化しやすい。
教会報を作るようになってから、他の教会がどんな会報をつくっているのだろうと思い、参考にしようと近くの教会の会報を見せていただきました。
どの会報もすばらしいのですが、長く続けておられるからかマンネリ化している部分も少なからずありました。
これは自分自身も気をつけないといけないと感じたことです。
特に気をつけないといけないなと思ったことは、松本さんと一緒でした。その部分を引用します。
みなさんのお寺の寺報は、お寺の重要な関係者間のコミュニケーションを媒介する役割を果たしているでしょうか?
お寺からの一方的な情報発信になっていませんか?
(松本紹圭 井出悦郎『お寺の教科書』徳間書店 226頁)
お寺からの一方的な発信になっていないか気をつける
これは僕もめちゃくちゃ気をつけていることです。
というか、ぼくがはじめに作った会報は、まさに一方的な発信の権化のような会報でした。
例えば、僕がオススメする本の紹介ページなんかを掲載していました。
これはマジで需要がなかったと反省しております。
しかし、そんな会報は誰も読みたがらないことに気がつき、少しずつ起動修正していきました。
ここからは、僕が所属教会の会報を紹介していきます。
まきのりが行っている教会報の取りくみを紹介
コロナがきっかけとなり始めた教会報
まず、教会報を作ろうと思い立った理由です。
キッカケはコロナでした。
コロナにより、うちの教会でもお祈りの日に人が集まることが困難になったのです。
また今まで行われていた教会での各種活動のほとんどを自粛しました。
2020年の3月頃から、今までのようなスタイルでは活動することができなくなったので、それならばと思い立ち2020年の5月より教会報を作成し始めました。
少しでも信者さんに、今まで通り教えを伝える機会を設けたいという思いからです。
またもう1つ懸念したのが、このままコロナだからと甘んじて何もしなかったら「教会で聞く神様の話は不要不急だったのだ」というメッセージを暗に送ることになってしまうということでした。
それはマジで嫌というか、自分の信念みたいなものによって、教会報の制作に踏み出しました。
なぜ今、紙媒体なのか
このデジタル化が進む昨今で、今さら紙媒体を使うのかという声が聞こえてきそうです。
大きく3つの理由があります。
- 形に残るものにしたかった
- 直接会って渡せつものにしたかった
- そもそも電子データを扱える人が少なかった
とくに3番目の理由が大きかったです。
何を隠そう、信者さんの多くが年輩の人だから紙にしました。
教会報のPDFデータをラインで送るとか言おうものなら「は?」と返ってくることでしょう。
そんなこちらの自己満足のものをつくるのではなく、届けたい人に届くものを作ろうと考えた結果、紙媒体を選択しました。
教会だよりの内容
はじめて作った教会だよりは、「とりあえず小さく始めよう」と思い始めたので、4ページで構成しました。
内容は
- 会長挨拶
- 信者さんの寄稿文
- オススメの本の紹介
- その月の予定
といったものでした。
2年経った現在は8ページ構成にしています。
また幻冬舎カリスマ編集長の箕輪さんが、社内報はゴリゴリの身内ネタが1番いい。
とどこかで話していたので、そのとおりゴリゴリの身内ネタにしています。
そのため現在の教会報は、
- 会長挨拶
- 信者さんへのインタビュー
- 信者さんからの寄稿文
- 教えの解説
- その月の予定
というラインナップでお届けしています。
信者さんや周囲の人の反応
周りから聞こえてくる声はおおむね好評です。(たぶん)
いつも教会に来てくれる年輩の女性の方は「えらい先生が書いているもんは読みたくないけど、知った人が書いてることやインタビューは読んでいてものすごく楽しい」といってくださいました。
ゴリゴリの身内ネタが功を奏しています。
またインタビューをした後に、お亡くなりになったかたもおられ、心の底から「話しを聞いておいてよかった」と思いました。
教会報を作っておきた変化
教会報を作り始めてから、なぜだか分かりませんが、数人の信者さんが近所の人たちにも配ってくれるようになりました。
とくに僕がお願いしたわけではありませんが、「これ、〇〇さんのインタビューが載ってるから見てみて」という感じで配って下さっていたのです。
うちの教会は、小さな村にあるので多くの人が顔なじみです。
そのため、信仰をしていようがしていまいが関係なく、読んでもらう機会が増えました。
そのお陰かは分かりませんが、今まで教会に来たことがない方にも活動が伝わっており、「今度〇〇があるなら私もいってみようかしら」という声がチラホラ聞こえるようになりました。
小さな変化かもしれませんが、教会報を作っていて本当に良かったなと思った瞬間です。
まとめ
今回は松本紹圭さんと井出悦郎さんの共著『お寺の教科書』の中でも語られていた、「寺報」の重要性をもとに、当教会の教会報の取りくみを紹介しました。
【『お寺の教科書』で語られた「寺報」の可能性】
- 寺報はマンネリ化しやすいので注意が必要だが、コミュニケーション手段として大きな可能性を秘めている。
- お寺からの一方的な発信になっていないか気をつける
【まきのりが行っている教会報の取りくみを紹介】
〇きっかけはコロナで信者さんにお話をする機会がなくなったこと
〇なぜ今、紙媒体なのか
- 形に残るものにしたかった
- 直接会って渡したかった
- そもそも電子データを扱える人がすくなかった
〇教会報の内容
- 会長挨拶
- 信者さんへのインタビュー
- 信者さんからの寄稿文
- 教えの解説
- その月の予定
〇教会報を作っておきた変化
なぜか分からないが、信仰がない方にも目を通してもらえるようになった。
今回紹介した本です。
オススメの本なので、ぜひ手にとって見てください。
以上、「【うちの教会でも実践中】お寺で『寺報』を作る試み」という話でした。
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