教会やお寺は、生八ツ橋に学ぶべきだと思った話

先日、妹が京都に行った際に、お土産で生八ツ橋を買ってきてくれた。

何気なく食べてみたのだが、はっきり言ってめちゃくちゃ美味しかった。
自分の撮影センスに絶望しながら、いちおう写真も撮ってみた。

今まで食べたタイプは、中に餡が入っていたが、これは外側の部分だけだった。
餃子で言うと皮だけなわけだが、これがマジでおいしい。

そしてこれもはっきり言うのだが、ほとんど僕が食べた。
他の人の追随を許さない勢いで、食べた。

あんなに追随を許さないのは、千と千尋の神隠しのカオナシくらいのもんだろう。

半分以上食べて、パッケージを見てふと思った。
あれ、パッケージ超絶オシャレじゃないか?
慌てて写真をとる。

さらに中を開くと、清少納言の『枕草子』が書かれている。
うん、最高に良い。
カメラの性能と撮影センスが抜群に残念なのことを除いては。

もうこの時点で、ほぼ食べてしまったため、中身の写真がないことを悔いる。

写真をとりながら、気がついたことがある。
というか、そもそも生八ツ橋って「生」じゃなかったよな。

もともと、若者に人気がなさそうな、茶色い見た目をした、なんか曲がったお菓子だもんな。

※上の写真はフリー画像です。商品ではありません。

そしてまた、ふと思う。

あれ、八ツ橋って超絶進化してないか?
時代に合せてうまいこと変化しとらんか。
しかもちゃんと「八ツ橋」の良さは残しつつの変化だ。

これは、すごい。
というか、このお菓子はいつからあるんだろう。

そう思い、お菓子箱の側面をみると「創業元禄二年 聖護院八ツ橋」と書いてある。

僕に衝撃が走る。

これは……いつ?

元禄二年。なんかめっちゃ古そうだけど、いまいち分からない。
スマホを取り出し、調べてみた。

元禄2年=1689年だ。つまり今から330年以上前から、この八ツ橋屋はあることになる。

めっちゃ古いやん。歴史めちゃくちゃあるやん。
その中で、今もこうして売れ続けてるってすごくないか。

そんなことを思いながら今度は「聖護院八ツ橋」を調べてみる。

本店のHPがヒットしたので、開いてみた。
するとまず、「味は、伝統。」の文字とお店の外観が表示される。

そして、スクロールすると、こう書かれていた。

八ッ橋を中心としたお菓子のご紹介です。

味は伝統、を理念に、いつの時代も皆様に同じ笑顔を浮かべていただけるような、美味しいお菓子づくりを目指しています。
(引用元:聖護院八ツ橋総本店HP

 

またここでも衝撃をうける。

「これだわ。ドラッカーのいう【ミッション】がここに明確に書かれてるわ」
ドラッカーの『非営利組織の経営』に書かれていた言葉が頭をよぎる(うろ覚え)

ミッションとは、組織に働く者全員が自らの貢献を知りうるようにするものでなければならない。
(『非営利組織の経営』P・F・ドラッカー 4頁)

 

聖護院八ツ橋さんは、創業当時からこのような理念を掲げていたかは分からないが、おそらく時代の変化に合せてミッションを見返しては、新しいお菓子つくりをしてこられたのだろう。

いつの時代もみんなを笑顔にできるお菓子作りを目指して。

ミッションというのは、言ってしまえば抽象的だ。

しかしこの常に指針となる抽象的な目標があるということが、企業にとってはすごく大事なのだ。

このミッションがあるからこそ、時代が変化するタイミングで、自分たちの存在する意義を確認し、変化していい具体的な部分は変えていけるのだ。

「八ツ橋って、生でもおいしいよね」とか「パッケージもおしゃれなほうがいいよね」という具体的な部分は、ミッションに沿う範囲で、どんどん変えてこられたのだろう。

このミッションを見返して、変化していくということを細谷功さんの『具体と抽象』では、的確に表現されている。

細谷功さんの言葉を借りると

抽象と具体のいずれかが一方だけでは不完全で、ここでも「具体と抽象の往復」が必要になるということです。
(中略)
重要なのは、「計画と行動」における具体と抽象のそれぞれの特徴と長所・短所を知った上で、両者をうまく使い分け、使いこなすことです。
(『具体と抽象』細谷功 103.104頁)

 

つまり、長期的な計画(抽象)と短期的な行動(具体)を行き来しながら考えることで、本質を見失わずに変化することができるのである。

※上の写真はフリー画像です。商品ではありません。

だからこそこうして今の時代でも売れ続けている。
もしも初めに作った固い八ツ橋だけを売っていたら、今はもう廃れてしまっているかもしれない。

僕はさらに、そこから本店HP中の「聖護院八ツ橋について」というページを見てみる。
ここには社長の挨拶文が書かれていたのだが、これもまた良かった。

私たちは八ッ橋というお菓子を作る会社として、次の時代に美味しい八ッ橋を残し伝えることが、会社としての使命と感じております。
(中略)
時代時代の変化にあわせて、皆様が愛される味の研究も重ね、これからも口に入れたときに感じる変わらない「美味しさ」を、提供していくつもりです。本質は変えず、時代にあわせる部分はあわせ、そして存続していく。(引用元:聖護院八ツ橋総本店HP

 

本質である「おいしい八つ橋を残し伝える」という部分は変えない。しかし、時代にあわせて変える部分は変える。

社長、ホントにすごいです。
こりゃ、今も残る老舗になるわけだよ。

これは、今僕たち信仰する者がやっていかないといけないことと、だだ被りしている。
信仰者も、いつまでも固い八つ橋だけを売っている場合ではないのだ。

固い八つ橋とは、あくまでも喩えである。
いつまでも昔の形を踏襲して、思考停止している場合ではない、と言いたいのだ。

たとえば、聖書や原典といったものをそのまま引用して伝えるのではなく、「自分の言葉で、今の時代に合うように伝える」というのが、1つの具体例だ。

現代の人に分かりやすい言葉で。
だってあくまで「神様の思いを伝える」のが僕らちのミッションだと思うから。

生八つ橋を作るように、僕も1人の信仰者として、本質を変えずに変化していきたい。

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