【信仰エッセイ】新しいアイデアは若者・バカ者・よそ者から生まれる

後輩から「え、こっちのアイデアのほうがよくないですか?」と言われ、僕は白目を向きかけ、そして思った。

「若い世代、やべぇ」と。

今年に入り、僕の信仰するの宗教の組織では人事移動があった。

3年に1度大きく変わるタイミングがあるのだが、若い世代はだいたいみんな青年部なのであまり変わりはない。

しかし、その青年部のなかでの役割が変わる。

僕は現在33歳で、青年部のなかではすでに結構年長者である。
そのため青年部のなかではちょっと責任重めの「広報部長」なるポジションを任せられた。(部長といっても大したことはない)

この部署は青年部が発行する「青年会報」を毎月1回出すことを目標に、今までの先輩方がコンスタントに続けて来られた大事な部署だ。

例にならってこれからも月1で発行すべく、数人の後輩とともに動き始めた。

そして広報部として集まったはじめの会議で僕は言う。

「会報をリニューアルしよう」と。

いささか、格好をつけて言った。
碇ゲンドウばりにシブく言ったつもりだ。

今の会報は正直に言って、若い世代に向けて発行している割には、デザインが古い。
これを何とかしようと思って、リニューアルの提案した。

後輩からも「たしかに!」とか「やりましょう!」という声をもらい、華々しくリニューアルに向けて動くことが決まった。

最高の船出だ。己の能力の高さに惚れ惚れした。

よしっ、あとは作るだけだ。
と思い、それからは新しい会報のデザインを考えた。

デザインに関してずぶの素人の僕は、無料のテンプレートを参考にしてなんとか表紙を作ってみた。それがこれだ。

なかなかの大作だ。今までの会報を見せると、身バレする危険があるので、見せることができないが、これは相当な進化だ。

ゼニガメからカメックスになったくらいな進化だ。カメールを飛び越えるくらいの進化といえる。

とにかくすごい。最高だ。

そんな自分のアイデアを、いったん広報部で1番若い23歳のF君に見せるためラインしてみた。

「今こんな感じなんやけど、どうやろ?」と。

すると、ちょっと時間がたったあと、返信がきた。

「そもそもなんですけど、委員長挨拶って表紙じゃないといけないんですか?」

ふぁっ!?

いきなり何を言い出すんだこやつは。
今までそうやって表紙には委員長挨拶を載せていたじゃないか。

そしてF君はさらに続ける。

「僕の個人的な感想ですが……会報見たときに表紙から文字ばっかりだと、その時点で読む気がなくなっちゃうんですよね。」

僕の顔面は引きつった。

なんだ、こやつは……。

ナイスだ。ナイスすぎる指摘。

しかし、俺は部長だ。
ここは冷静に対処しないと。そう思いながらラインを返す。

「なるほどな、確かにそういうのも考えられるよね」と返信。

俺も「その案は考えていたぜ」というポジションを装い、部長っぽく返信した。

実際はまったく思ってもない方向からの突然のパンチに、ただただ茫然としていた。

すると、そこから数時間してまたF君から連絡がある。

「こんな感じで、表紙はもう写真とかにしたらどうでしょうか?」

「こっちのアイデアの方がよくないですか? といってもまだ適当に写真張り付けただけです。すみません」と。

たしかに荒い作りだったが、今どきのかっこいい感じに仕上がりそうな表紙のデータが一緒におくられてきた。画像編集ソフトで作ったようだ。

そこから修正を重ねてできたのが、これ。
身バレを防ぐため、画像等を変更している。

季節感がないのはそのためだ。

できた会報をみて、僕は思う。

いいわコレ。

マジで。

すごい良かった。失禁するくらい良かった。

カメックスに進化させたとか言っていた自分が恥ずかしかった。
もはやFくんのそれはミュウツーだった。

考えてみれば、別に委員長挨拶は表紙になくてもいい。
それよりも青年会員のみんながみてくれるものを目指していくべきだ。

そして思った。「若い世代パねぇ」と。

この若さにして、すでに固定観念にとらわれていた。

西堀栄三郎さんの『石橋を叩けば渡れない』の言葉が頭によぎる。

「考えてみりゃ」とはどういうことかというと、今までこうしなければならんものだ、ああするのがあたりまえだ、そうすべきだ、何だかんだというそういう固定観念というか、習慣があります。

それをバァッと捨ててしまって、ことの本質に迫って考えることを、一口で「考えてみりゃ」というのです。

(西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』171頁)

 

自分もまだまだ若いけれど、気をつけないと本質にせまることを忘れてしまう。

いつの間にか常識に囚われしますのだ。
いつの世も、世界の多くの進歩は常識を超えた人から生まれる。

山口周さんの言葉を借りよう。

世界の進歩の多くが、門外漢の素人によるアイデアによってなされています。(中略)パラダイムシフトは多くの場合、「その領域に入って日が浅いか、あるいはとても若いか」のどちらかであると指摘しています。

(山口周『ニュータイプ』288頁)

 

昔から時代を変えるのは「若者・馬鹿者・よそ者」という言葉があるが、まさに今回それを思い知った。

自分がそんなアイデアを生み出せないのであれば、せめて部長として良いアイデアを受け止められるような人になりたいと思う。

会報は無事に今年の4月からリニューアルを果たす予定だ。まぁなんか色々あったけど、良いものを作れたんだからそれでいいのだ。

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