『もしドラ』についてざっくりと。
- マネジメントという言葉の意味が分かる
- なぜ教会にマネジメントが必要なのか分かる
- マネジメントする上での大前提が知れる
今回は、『もしドラ』こと、『もし高校の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』をもとに話を進めていく。
教会運営をこれから学びたい人にオススメの一冊だ。(まあほんとは経営の本なんだけど)
ただ、この本はもともと営利組織に対して書かれた本なので、全てが教会(非営利組織)に当てはまるわけではない。
そのあたりには注意して参考にしていきたいと思う。
200万部以上売れている本だから知っている人も多いのではないか。
ちなみにこの本はP・F・ドラッカーが書いた『【エッセンシャル版】マネジメント』という本を元に書かれている。
そちらも併せて紹介しよう。
この記事では本書の性質上、こちらの本からも引用をしている。
さてでは『もしドラ』の作者とあらすじを超ざっくり説明する。
岩崎夏海(いわさき なつみ)
1968年生まれ。
東京藝術大学美術部建築学科卒。
放送作家として「ダウンタウンのごっつええ感じ」等のテレビ番組の制作に参加。
あらすじ
主人公のみなみは、ある出来事をキッカケに、平凡な野球部のマネージャーをすることを決意する。
彼女はドラッカーの『マネジメント』を頼りに、部員をサポートし甲子園を目指す。
この本をおススメする理由は3つある。
- 高校野球を題材にした物語になっており、そもそも楽しく読める。
- マネジメントとは何かが、具体例を挙げながら説明されており、理解しやすい。
- 教会の運営にも活かせることが多い。
ではこれから、「マネジメント」という言葉の意味について触れていこう。
そもそもマネジメントとは?
ドラッカーは「マネジメントとはなにか?」ということに対してこう答えている。
マネジメントとは、成果に対する責任に由来する客観的な機能である。(『【エッセンシャル版】マネジメント』ピータ・F・ドラッカー 2頁)
これを『【エッセンシャル版】マネジメント』の内容をかいつまんで、分かりやすくいうと、
「企業が成果を上げるために、ヒト・モノ・カネといった資源を、管理しながらも目標やミッション達成を目指していくこと」をマネジメントという。
ということだ。
なぜ教会やお寺にマネジメントが必要なのか。
なぜかというと、多くの教会やお寺に関わる人材や資源(信徒さん・お布施など)が昔より減ってきているからだ。
つまり、今までは人もたくさんいたし、資金が潤沢にあったから、いろんな分野にその資源を投入することができた。けれど今は、資源が昔より少なくなっているため、「本当に大切なこと」に集中して人を育てたり、お金を使ったりしていく必要がでてきたのだ。
逆にいうと余分なものをそぎ落としていくともいえるのではないだろうか。(こんなこといったらめっちゃ怒られそうだけど)
限られた教会やお寺がもっていた資産で、これから何をしていくのか。
本当に必要なところに投入するため、マネジメントを学んでいこう。
マネジメントする上で絶対必要なもの
『もしドラ』では、一番はじめに「マネジャーの資質」と題して超絶大事なポイントが紹介される。※ちなみにマネジャーとは、マネジメントする人のこと。
この一文で、読む人はふるいにかけられる。以下、引用する
人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。
だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである(一三〇頁)(『もし高校の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海 17頁)。
※この内容は、『【エッセンシャル版】マネジメント』130頁の引用でもある。
お分かりだろうか。
ドラッカーは読む人に向かってこう言っているのだ。
「君、本気だよね?」と。
技術とか方法とかよりも、大事なのは真摯さ。
これは僕が一番グッときたポイントでもある。
“真摯さ”これがないことにはもうマネジメントは出来ないのだ。
これは本家の『【エッセンシャル版】マネジメント』でも強く語られている。以下、引用する。
真摯さを絶対視して、初めてまともな組織を言える。(中略)
真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければいけない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間で分かる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。
だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのような者をマネージャーにすることを許さない。(『【エッセンシャル版】マネジメント』ピータ・F・ドラッカー147頁)
僕たちは、ドラッカーに問われている。
そう、この本は単なる経営の方法や術を学ぶだけの本ではない。
もっと根本的なところから話が始まっているのだ。
僕自身は信仰者としても試されているような気持になった。
そして、燃えた。
大いに燃えた。
やってやろうじゃないか、ドラッカーさんよ。
では前編はこのあたりで終わることにする。
次回は、マネジメントの枠組みについて話していこうと思う。
以上、「『もしドラ』から教会マネジメントの第1歩を学ぼう【前編】」という話でした。
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