そんなときに読みたい名著を紹介します。
生きがい。
自分の生きがいが何かと聞かれたら、どんなものを想像しますか?
子育てが生きがいの人、趣味が生きがいの人、友人との時間が生きがいの人。
人によって、様々だと思います。
うちの妻にそれとなく聞いてみたところ、今は子どもを育てるのが生きがいだそうです。
ちなみに僕は子育て・信仰・読書・ブログが生きがいになっています。
少し多いのかもしれませんが。
そもそも生きがいと聞いて、何となくのイメージはありますが、答えられないという人も多いのではないでしょうか。僕もその1人です。
今回はそんな「そもそも「いきがい」ってなんなんだろう」ということを掘り下げて考えていきたいと思います。
「生きがい」とは何かを理解しておくことで、生きがいを失った人の助けになるかと思うからです。
生きがいを失った信者さん
そもそもなぜ僕が生きがいについて調べたのかというと、ある信者さんが口にした一言がキッカケでした。
僕は毎月2回、かならず伺う信者さんのお宅があります。
80歳を過ぎた女性の方のおうちです。
そのかたは、普段とてもげんきのいい人で、とても80代には見えません。
本当に若々しくて若い人と話すのも大好きです。
数年前に旦那さんを亡くされてからは一人暮らしをされています。
今のところ何でも1人でできるので、気楽な1人暮らしを謳歌していると常々おっしゃっていました。
しかし、ある日3週間ぶりくらいに電話してみると、元気がありません。
どうやら足が痛くて何もする気がおきないようでした。
早速都合をつけてお邪魔すると、何時も明るい信者さんから溜まっていたものがあふれ出します。
- 足が痛くて動けないこと
- そのせいで美容院に行けなかったこと
- 掃除もろくにできない
等々。1つのことがキッカケとなり、連鎖するように悪いことが起きて来ていたようでした。
お宅に伺ったときには、すでに足は良くなったとおっしゃっていましたが、それでも元気がありません。
「なんかねぇ、もう本当に歳だと思ったわ。何にもできなくなっちゃったの。
1日をなんとなく過ごすだけで、生きがいがないの」
と言われたのです。
「それでは久しぶりに教会に参拝しに来ませんか? 送迎もさせてもらいますし」とお伝えすると、「いや、それもいい。なんにもしたくない」とのこと。
その後も30分ほど世間話をしてその日は帰りました。
その後も何度か足を運んでいるうちに少しずつ元気に。
僕が何かをしたというよりも、ご自身で立ち直っていったという様子でした。
ただこのときに、「いきがいって何だろう?」という問いが生まれたのです。
今回はそんな疑問をもった僕が読んで参考になった本を紹介します。
参考にした本を紹介
今回紹介するのは神谷美恵子さんの『生きがいについて』です。
神谷美恵子(かみや みえこ)
1935年津田英学塾卒。ブリンマー大学・コロンビア大学に留学。
1944年東京女子医専卒。同年東京大学医学部精神科入局。
1952年大阪大学医学部精神科入局。
1957-72年長島愛生園勤務。
【本書の内容】
「生きがいとはなにか」を様々な角度から考察した1冊。
表紙の絵はゴッホの《病院の中庭》という絵です。
なんか惹きつけられるね。
生きがいとは何か
ここからは『生きがいについて』から生きがいとは何かを考えていきます。
生きがいの特徴6つ
生きがいとはなにかを考えるために、生きがいの特徴を見ていきます。
筆者によると生きがいの特徴は、大きく分けて6つあるとのこと。
- ひとに「生きがい感」をあたえるもの
- 生活を営んで行く上での実利実益とは必ずしも関係がない
- 「やりたいからやる」という自発性を持っている
- まったく個性的なもの
- 心にひとつの価値体系(序列)をつくる
- その人独自の心の世界をつくる
(参考:神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房 81~83頁)
今回はこの中で1番目と3番目を詳しく見ていこうと思います。
また4番目の「まったく個性的なもの」にも後ほど少しだけ触れます。
他の特徴もとても参考になるので、よかったら本書を手に取ってみてください。
生きがいとは、ひとに「生きがい感」をあたえるもの
生きがいの特徴1つ目は、ひとに「生きがい感」をあたえるものです。
まず、「生きがい」と「生きがい感」という、似たような言葉が出てきて混乱しているかと思いますので、こちらを説明します。
「生きがい」と「生きがい感」の違い
「生きがい」と「生きがい感」については、100分de名著で紹介された時のテキストが非常に分かりやすかったので、そちらから引用します。
「生きがい」そのものは目には見えない。しかし、たしかに感じられる。(中略)
柔軟な知性、開かれた感性によってこそ。「生きがい」は把握される。そうした生の意味を認識する力をよみがえらせること、それがこの本のもっとも重要な主題といってもよいと思います。(中略)
この本で神谷は「生きがい」、すなわち生きる意味と、「生きがい感」、つまり生きる経験を区分し、「生きがい感」の優位を説きます。
(100分de名著『神谷美恵子 生きがいについて』NHK出版 18頁)
〇生きがい
→生きる意味。生きがいの源泉、対象を指すことば。
例)この子は私の生きがいです。
〇生きがい感
→生きる経験。生きがいを感じている精神状態を指すことば。
人間は生きる意味が何かを話すことができなくても、生きる意味をしっかり実感している。
参考:100分de名著『神谷美恵子 生きがいについて』NHK出版 18頁
この「生きがい感」というものを知ることが、いきがいについての理解をグッと深める大切なポイントだと僕は思っています。
生きがいは珍しいものでなくてもいい
僕が勘違いしていたのは、いきがいは、珍しかったり、変わったものでなくてもいいという点です。
生きがいとは、(中略)めずらしい、かわったかたちのものとは限らないであろう。
草木を育てること、俳句や和歌をつくること、あみもの、陶器づくり、他人のためにつくすことなど、目立たぬものもみな立派に生きがいとなりうる。
要はただそれれがそのひとにとって「生きるよろこび」「生きるはりあい」の源泉になることであって、その観点からいえば、もろもろの生きがいは軽重の比較を超えたものといえる。
(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房 81.82頁)
生きがいはその人にとって「生きる喜び」になるものなら、特別なものでなくてもいい。
僕はどこかで「生きがいというのは、自分にしかできない、オリジナルなものでなければならない」という勘違いをしていました。
しかしよく考えてみると、僕の生きがいでもある読書は、多くの人が楽しむことができます。
先ほどご婦人の信者さんの話をしましたが、もしその信者さんになにか勧めるときにも、特別なことを勧めなくてもいいんだなと。そんなことを考えました。
生きがいとは「やりたいからやる」もの
「やりたいからやる」ということも生きがいのポイントです。
筆者の言葉を引用します。
第三に、生きがい活動は「やりたいからやる」という自発性を持っている。
たとえ海外医療伝道というような召命意識にもとづく献身的活動であろうと、単に「させられる」ものではなく、召命を喜んでうけ入れる、という自発性がふくまれている。
(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房 82頁)
生きがいは「させられるもの」ではない。
自ら喜んで「やりたいからやる」という自発性を伴うもの。
これは第二の特徴「生活を営んで行く上での実利実益とは必ずしも関係がない」にも言えることですが、この特徴は「あそび」という性格があるように思います。
子どもが何かで遊んでいるときに「なぜ遊んでいるのか」と聞いたとしても、おそらく「ただ楽しいから遊んでいる」「遊びたいから遊んでいる」という答えしか返ってこないのではないでしょうか。
「あそび」には理由なんてないことが多いのです。同じように生きがいも「やりたいからやる」という遊びに近い側面があるように思います。
また、別な話でいうと、僕の友人でむちゃくちゃ渓流(川)釣りの好きなやつがいます。
朝3時くらいに家を出て、車を走らせて山の奥に入っていき、楽しんでいるようです。
1度一緒にいきましたが、僕にとっては楽しい要素がほとんどありませんでした。
あまりにつまらなくて「魚ならスーパーで買えばいいじゃないか」と言ったのですが、めっちゃキレてました。
「そんなことしたら、なんの楽しみもないだろ」と。
彼は釣りそのものを「やりたいからやっている」のだと思います。
魚が釣れることに意味があるというよりは、釣るという行為がただただ楽しいのだと。
だからこそ生きがいになっているのです。
僕にとって読書がそれにあたるので、気持ちはよく分かります。
あのときはごめんな。
まきのりの視点
さて、最後に僕が『生きがいについて』を読んで感じたことを書いていきます。
生きがいの特徴を考えて、そのひとに合った生きがいを共に考える
僕がこの本を読んで、信仰者としてどのように「生きがいを失った人」と関わっていくかを考えました。
そして辿りついたのが、「生きがいを喪失した人に合った生きがいを共に考える」ということが大切なのではないかと。
先に紹介したご婦人の信者さんとは、何度か約束をして回転ずしなどにもいったのですが、今考えればそれをとても喜んでくれていたように見えました。
ひょっとすると、これも短期的なものではありますが、少なからず生きがいにしてくださっていたのかもしれません。
また同時に、これは僕自身の生きがいともいえます。
こうして信者さんがいてくださるからこそ、こうして教会の代表として活動することができるからです。
信者さんいなくなったら、なんの代表なのかわかりません。
信仰が必ずしもすべての人の生きがいになるとは限らない
そしてその人にあった生きがいを共に考える上で大切なことがあります。
それは「信仰が必ずしもすべての人の生きがいになるとは限らない」ということです。
こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが。
僕は信仰っていいなと思うあまり、どこかで信仰を押し付けてしまいそうになるときがあります。
これは気をつけないといけないことだと思うのです。
なぜなら自分がいいと思っている生きがいが、相手にも合うかとは限らないから。
先ほど書いた生きがいの6つの特徴の4番目を引用します。
第四に、生きがいとは全く個性的なものである。
借りものやひとまねでは生きがいたりえない。それぞれのひとの内奥にあるほんとうの自分にぴったりしたもの、その自分そのままのあるものでなくてはならない。
(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房 82頁)
薬でも病気によって処方箋が違うように、生きがいも相手によって自分にあったものがあるはずです。
いつかは信仰によって幸せになるときがきてくれたらいいなとは思いますが、それが今じゃない人もきっといっぱいいます。
僕としては、生きがいを見失ったひとには、生きがいを探すお手伝いをするくらいの感覚でいいんじゃないかと思うのです。
まとめ
今回は神谷美恵子さんの『生きがいについて』を参考に書いてきました。
【生きがいの特徴6つ】
- ひとに「生きがい感」をあたえるもの
- 生活を営んで行く上での実利実益とは必ずしも関係がない
- 「やりたいからやる」という自発性を持っている
- まったく個性的なもの
- 心にひとつの価値体系(序列)をつくる
- その人独自の心の世界をつくる
【まきのりの視点】
- 生きがいの特徴を考えて、そのひとに合った生きがいを共に考える
- 信仰が必ずしもすべての人の生きがいになるとは限らない
今回紹介した本です。よければ手に取ってみてください。
以上、「【信仰者にオススメ】生きがいとはなにかを考える」という話でした。
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