僕たちは、2つの価値をごちゃ混ぜにして考えているのかもしれませんよ。
現代に生きる僕たちは、「市場社会」に生きています。
市場社会とは、
個人が自由に取引をする中で、価格を基準に需要と供給が一致するような経済制度のこと。
つまり、売る人と買う人がいて何にでも値段がつく、経済のしくみということです。
たとえば、僕は普段木こりをしていますが、切り倒す木にも値段がつきます。
年輪が細かく、きれいな木にはいい値段がつきますし、あまり手入れされてこなかった木には、それなりの値段しかつきません。
このように現代では、「値段がつく=価値がある」というケースが非常に多いのです。
後でもでてきますが、このような価値のことを「交換価値」と言います。
この価値自体は悪いものではありません。
しかし、もう1つ大切にしたい価値を忘れてしまうと、自分でも気がつかないうちに「幸せ」を見失ってしまうかもしれません。
この価値は信仰をする人にもぜひお伝えしたいと思ったので、これから紹介していきます。
妹のタイヤ交換を通して
先日、妹とこんなやりとりをしました。
なんだかんだ言って、普段なにかとお世話になっている妹のことなので引き受けました。
日曜日になり、時間を見つけてタイヤ交換をしました。
別にお金をもらったわけではありませんが、人のために何かをるということで清々しい気持ちになりました。
こういうことって誰しもあるのではないでしょうか。
ここで考えたいのは、「もし、妹からお金をもらっていたら、同じようにすがすがしい気持ちでできただろうか」ということです。
実はここにも私たちが忘れかけている価値が眠っています。それが「経験価値」というものです。
先にあげた「交換価値」と今あげた「経験価値」とはいったいなんなのでしょうか。
次項ではそんな2つの価値について考える本を紹介していきます。
参考にする本をざっくり紹介
さて、今回はヤニス・バルファキスさんが書かれた『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』を参考に話を進めていきます。
ヤニス・バルファキス
1961年アテネ生まれ。
2015年、ギリシャの経済危機時に財務大臣を務める。
アテネ大学 経済学教授
本書の内容
ギリシャを出て海外で暮らす娘にむけて書かれた本。
「経済の話」が主な内容になってり、経済のことを何も知らない娘にも分かるような表現で書かれている。
とても経済の本とは思えない分かりやすさでオススメです。
2つの対極にある価値
本書の中では、2つの対極にある価値について書かれた下りがあります。
先にも出てきた通りそれは
- 交換価値
- 経験価値
の2つです。
この2つを分けて考えることで、信仰における価値というものもはっきりと理解することができます。
実際僕はこの本を読むまで、2つの価値が頭のなかでごっちゃになっていました。
では1つずつ見ていきましょう。
交換価値
交換価値とは、簡単に言うと「商品などの値段がつくものの価値」だと言えます。
今、僕たちの身の周りにあるものは、ほとんどどこかで商品として買ったものではないでしょうか。コーヒーを飲むためのコップや、今てもとにあるスマートフォンも商品です。
またアルバイトを自給1000円でしている時、自分自身すら商品になっているといえます。
「商品」ということについて著者の言葉を引用します。
商品とは、いくらかの金額で「売る」ものだ。それが商品であるなら、(中略)市場価格がつく。市場価格とは「交換価値」を反映したものだ。
つまり、市場で何かを交換するときの価値を示しているのが市場価格だ。
(ヤニス・バルファキス『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』ダイヤモンド社 49頁)
この「交換価値」という考え方は、現代の僕たちには非常になじみが深い考え方だと思います。
ただ、もう1つ大切な価値があるのだと、著者のヤニスさんは言っています。それが「経験価値」です。
経験価値
経験価値とは、簡単に言うと「プライスレスな価値」だと言えます。
先ほど僕が例にあげた、「妹のタイヤ交換」などがそれにあたるでしょう。また、父の日に娘が書いてくれた「お父さんの似顔絵」なども、値段はつきませんが、なにものにも代えがたい価値を感じる人は多いと思います。
経験価値についてヤニス・バルファキスさんはこう言っています。
売り物でない場合、(中略)まったく別の種類の価値がある。「経験価値」と呼んでもいい。海に飛び込み、夕日を眺め、笑い合う。どれも経験として大きな価値がある。そんな経験はほかの何ものにも代えられない。
経験価値と交換価値は、対極にある。それなのに、いまどきはどんなものも「商品」だと思われているし、全てのものに値段がつくと思われている。
(ヤニス・バルファキス『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』ダイヤモンド社 49頁)
・売り物ではない場合も、すばらしい価値がある
・経験価値と交換価値は対極にある
・今は全てのものに値段がつくと思われている
この「経験価値」は現代から少しずつ忘れられつつあるのではないでしょうか。
もちろんまったく忘れ去られてしまったわけではありませんが、気を付けないとなんでも「商品」として扱ってしまう傾向があると思います。
2つの価値の違い
つまり交換価値と経験価値はまったくの別ものだということです。
1度、整理してみましょう。
交換価値 市場によって値段がつけられた商品としての価値
経験価値 値段がつけられない経験として大きな意味のある価値
この2つの価値を分けて、「交換価値」に目をむけることが大切だと、ヤニス・バルファキスさんは言っているのです。
信仰者の目指すべき価値はどちらだろうか?
「交換価値」と「経験価値」この2つを見たとき、僕たちが信仰者として目指していくのはどちらの価値でしょうか。
僕は現代で忘れられつつある「経験価値」こそ、信仰者が目指していくものだと思います。
例えば、一日を清々しい気持ちでスタートさせたいと思ってお寺にやってこられる方がいたとします。
その方が法話を聞き、お寺周りの掃き掃除をしている時に住職さんがやってきて、
といったら、おそらくその女性は喜ばないのではないでしょうか。
なぜならその女性は神聖なお寺という場所の掃除を無償でして、1日を最高のスタートで始めるという「経験」を積もうと思っているからです。
もちろん実際にこんな大げさな事例は起きないでしょうが、教会やお寺に来られる人が、どんな価値を求めて来られているのかには注意しておく必要があります。
- お徳を積みに奉仕活動にきた
- 心を落ちつかせるために法話を聞きにきた
- 誰かのためにお祈りにきた
など、多くの人が、お金では買えない価値を求めてお寺や教会に来られていると思います。
まとめ
では最後にまとめです。
今回は現代における「2つの価値」について紹介していきました。
参考にした本はヤニス・バルファキスさんの『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』です。
2つの価値とは
①交換価値
交換価値とは、「商品になっているものの価値」
②経験価値
経験価値とは、「プライスレスな価値」
この2つの価値は対極にある。
僕たち信仰者は2つの価値を分けて考え、「交換価値」に目をむける必要があるのではないか。
以上、「【信仰者が意外と知らない】現代にある2つの価値を学び、本当に大切な価値を知ろう」という話でした。
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