小説『西の魔女が死んだ』を通して”死”を考える

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「死とは何か」を考えるオススメの本

「死とは何か」
人間が絶対に避けて通ることができないことの一つに「死」がある。

枯葉
普段生活をしている中では、あまり考えることは少ないかもしれない。特に若い人なんかは「まだまだそんな先のこと言われましても」てなもんだと思う。
僕もその一人だ。
しかし信仰をしていると「死」ということを考えることがよくある。葬儀の斎官などをつとめることがあるからだ。そんな時は遺族の方とお話をさせていただくということもある。(まだまだ新米なので、そんな機会は稀だが)

さてそんな悲しみのどん底にいる方と対峙した時、果たして自分がどこまで「死」について考え、他社に寄り添うことができるのかということを考えると、自信がない。

今回は私のような自信のない宗教家に読んでもらいたい超絶オススメの小説とさらに対話集を紹介したい。

まず1冊目が梨木香歩の『西の魔女が死んだ』だ。物語の随所にはっとさせられるような気付きが散りばめられている。

今回はその中でも僕が一番グッときた、死とは何かを主人公が考えるシーンを紹介したい。

物語のあらすじ

その前に、本書のあらすじをざっくりというと。

主人公は「まい」という女の子。中学一年生の始めに、どうしても学校へ行けなくなってしまい、母方のおばあちゃんの家で一か月ほど過ごすことを決める。

植物と空

おばあちゃんは外国の生まれで、「西の魔女」と呼ばれていた。
魔女であるおばあちゃんは、ほうきに乗って空を飛んだりするわけではないが、先祖代々受け継がれている知恵や力を持っていた。そんな魔女からまいは、何気ない毎日の中でたくさんのことを教えてもらう。

魔女の心得、それは「自分で決める」ということに尽きるというが、まいは魔女から何を学ぶのか。

まきのりのグッときたシーン

グッときたポイント紹介

さて、では早速、本書のグッときたシーンを紹介する。

それは、まいがおばあちゃんに「死」について質問するシーンだ。夜寝る前、布団に入ったまいは、胸の奥にしまっていた大問題「人は死んだらどうなるの」ということをおばあちゃんに質問する。

夜空を見上げる人

するとおばあちゃんは「死んだことがないので分からない」と言って、緊張しながら聞いていたまいの気持ちを和らげる。

しかし、おじいちゃんの死も経験し、魔女のトレーニングも受けているので、ある程度のちしきはあると言うおばあちゃんに、まいは心の中で蓋をしていた父との思い出を打ち明けるのだ。

まいが何年も前に父親に「人は死んだらどうなるのか」尋ねたところ、「死んだら、もう最後の最後なんだ。何もなくなるんだ」と言われたことを涙ながらにおばあちゃんに伝える。

それを聞いたおばあちゃんはまいを自分の布団に招き入れ、自分の信じている死後のことを話してくれる。

さらにそこからの返答がとにかくいいのだ。以下、引用すると

「おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。(中略)身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。(中略)
死ぬ、ということは身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゅあんは思っています。」(『西の魔女が死んだ』梨木香歩 116頁)

西の魔女、惚れてまうくらいいいこと言いますね。

まいはこの後、長年苦しんできた重石がとれて、別のドアが開いたような明るい気もちになったと本書では書かれている。

まいは物語に救われた

まいは、父親から「人は死んだら何もなくなる」ということを以前に聞き、それをずっと心の内に隠して、不安と戦いながら生きてきた。

落ち込む少女

このシーンではあることをキッカケに、おばあちゃんに父親に言われたことを打ち明ける。そして、おばあちゃんが考える、新しい「死の物語(死生観)」を聞くことで、まいの心は晴れたのだ。

それが本当なのかどうかは誰にも分からない。しかし物語には人を癒し、救う力があると僕は確信している。

このシーンは、『西の魔女が死んだ』の中でもかなり重要なシーンじゃないかと個人的には思っている。重要というか、まいの心が救われたのと同時に、多くの読者の心もまた、救われたんじゃないかと思うのだ。

物語が人を癒す~『生きるとは、自分の物語をつくること』を通して~

では、ここからはもう一冊、別の本を紹介する。

臨床心理学者の河合隼雄と小説家の小川洋子の対談をまとめた『生きるとは、自分の物語をつくること』という本だ。

この本には、先ほど紹介したまいの心の変化について、小川さんが的確に表現している箇所がある。

以下、引用すると

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心に合うように、その人なりの現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。(『生きるとは自分の物語をつくること』小川洋子・河合隼雄 47頁)

 

『西の魔女が死んだ』では、おばあちゃんが自分が魔女のトレーニングや夫の死を通して学んだ物語を、まいに伝えた。
ありのままでは到底受け入れられない「死」という問題を、まいのこころに合うようにして。

本書では他にも色々な形で、人が一度は考えるであろう普遍的な悩みについて、魔女が優しく答えてくれる。

この本が売れるのが分かる。みんな魔女に癒されているのだ。

 

まきのりの視点~教えてもらっている物語が誰かを癒すかもしれない~

ここまでの読書体験を通して、僕はこう考えた。

「てか宗教にある創世記(なぜ世界や人間が造られたのかを神が教えてくれた書物)って、これすんごい物語じゃね?」と。

そうなのだ、『西の魔女が死んだ』も、素晴らしい物語なのだが、それを読んで鼻すすりながら泣いてる場合じゃない。

なんたって僕は宗教家なのだから。

改めて自分の宗教の創成記を見直す。

「うん、これビックリするくらいド直球の物語だわ。大谷翔平のストレートくらいの破壊力あるわ」と思わず唸った。

ここでもう一度、『生きるとは自分の物語をつくること』を引用する

いくら自然科学が発達して、人間の死について論理的な説明ができるようになったとしても、私の死、私の親しい人の死、については何の解決にもならない。
「なぜ死んだのか」と問われ、「出血多量です」と答えても無意味なのである。その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。(中略)

つまり物語ることによってようやく、死との存在に折り合いを付けられる。(『生きるとは自分の物語をつくること』小川洋子・河合隼雄126頁)

 

僕の宗教では、魔女が教えてくれたのと同様に「人間には魂というものが存在している」と教えられている。肉体が無くなっても(死んでも)、魂はそのままずっと生きて、一度神様の元に帰った後、またこの世に別の身体を与えられて生きることができる。そういう物語がある。

今回紹介した二冊を読み、自分の信じているこの物語を、もっと自信をもって伝えていってもいいんじゃないかなと、そんなことを思ったのだ。

では今回はこの辺で!

 

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