こころの成長って何なの?
心は成長するのだろうか。
と、答えがあるのかないのか分からないことをふと考える。
ハッキリいってそんな大きな質問に答えられるほど、できた人間ではない。
けれども「心の成長」ということのに関する1つの視点として、面白いなと思った小説があったので紹介したい。
それがこの本だ。
この『夏の庭』という小説では、物語を通して「心の成長」が語られていると僕は思っている。
これは信仰とも関係が深いテーマではないだろうか。
そんなわけで、今回は「じゃあ心の成長って何?」ということについて、1冊の小説を頼りに書いていきたい。
『夏の庭』をざっくり紹介
さて、先ほども紹介した通り、今回紹介したいのは『夏の庭』という小説(児童文学)だ。
まずは作者とあらあすじを簡単に紹介する。
湯本香樹美(ゆもと かすみ)
1959年生まれ。東京音楽大学卒業。
『夏の庭』は処女小説で、日本児童文学者教会新人賞、児童文芸新人賞などを受賞。
著書に『ポプラの秋』『くまとやまねこ』などがある。
『夏の庭』あらすじ
物語は木山、川辺、山下の少年(12歳)3人組とおじいさんが主となって進んでいく。
ある日、山下が身内の死を体験することで、3人は「死」とは何かを考え始める。よく分からない死への恐怖を感じながらも、それを乗り越えようと、ある作戦を思いつく。
それは近くに住む、今にも亡くなりそうな年老いた1人暮らしのおじいさんを「観察」し、看取ることだった。しかし観察するはずだったおじいさんと、彼らは次第に打ち解け合う。そして3人の子どもと話すうちに何故かおじいさんも元気になっていく。
そんなおじいさんと少年たちは当初の「看取る」という目的とは違った関係を築くことになる。
こんな感じだ。
最初の少年が提案する「全く知らないおじいさんを看取る」という展開は、あまりの突拍子のなさに、読んでいて度肝を抜かれた。
はじめ、少年とおじいさんの関係は溝がある。
ただ読み進めるうちに、徐々におじいさんと少年たちの中に繋がりが生まれる。
読んでいて温かい気持ちになるのだ。
次項では、まきのりのグッときたポイントを3つ紹介する。
まきのりのグッときたポイント
戦争に行ったおじいさんの話
おじいさんと仲良くなった少年3人組が、ふとしたキッカケからおじいさんの戦争体験を聞くというシーンがある。
もともと「死」とは何かを考えていた3人にとっては、かなり衝撃的な内容で、聞いたあとは無言の状態が続く。その後おじいさんが重い口をひらくシーンを引用する。
「聞かなきゃよかっただろ。こんな話」
「そんな、ことないけど」ぼくはもごもご言ったのだが、なんだか気まずい空気をますます居心地の悪いものにしただけみたいだった。
「いいんじゃないの、話して」河辺がポツリと言った。「そういうことは話しちゃったほうがいいんだよ、きっと」(『夏の庭』湯本香樹美 125頁)
この部分をよんで率直にこう思った
と。具体的に言いすぎるとネタバレになるので割愛するが、かなりえげつない戦争での体験を赤裸々に語っている。
しかし、その話したことを、3人はそれぞれ自分の中で噛みしめている様子が伺える。
おじいさんが戦争について語ったことで、3人は「死」というものが何かを感じ取る一つの視点になったのではないかと推測する。
おじいさんを騙そうとする少年たち
2つ目は、3人がおじいさんを騙そうとするのがシーンだ。結局それがおじいさんにばれて「馬鹿者!」と怒られる。
しかし騙すと言っても少年たちは、おじいさんに幸せになってもらいたい一心でやることなのだ。このシーンもグッとくるものがある。以下、引用する。
「悪気はなかったんだよ」
「悪気とか、そういう問題じゃない」
「じゃ、どういう問題なんだよ」河辺はまだわめいている。
「人の人生に猿芝居を持ちこむなってことだ」
おじいさんに暗い声でそう言われると、ぼくはほんとうにしゅんとなってしまった。頭が悪いとか、顔がまずいとか、性格が暗いとか、そういうことよりももっと決定的にきびしいことを言われた気がしたのだ。(『夏の庭』湯本香樹美 150頁)
このシーンも1つ目と同じように、小6にしてはおじいさん厳しいこというよなと個人的には感じた。だが、逆に言えばおじいさんは少年たちと本気で向き合っているともいえるのではないか。
だからこそ、おじいさんの言葉は少年たちに沁みこむ。
そして、おじいさんの考え方を学んでいくのだ。
あとがきが最高にいい
小説を読み終わり、すんごい充実感があるのだが、さらに最高のデザートがこの本には待っている。
それがあとがきだ。
解説を書かれている玖保キリコさんは、自信のこどもの頃のことを述懐する。
そして子共の頃はスノーボールのような小さい世界でしか生きていなかったことを、大人になってから知ると語る。
これは僕もまったくの同感だし、おそらく多くの人が共感を覚えるのではないだろうか。
その上で、少年たちはおじいさんと出会ったことで、その小さなスノーボールから抜け出したと解説する。以下、引用する。
おじいさんの人生に関わったことによって、今まで子供の生活にはなかったことを経験していくのである。
今まで自分だけで考えて煮詰っていたことでも、おじいさんだったらなんて言うだろうかと、視点を変えて考えることを学ぶのである。
その視点を掴むことで、彼らは確実に今までの小さなスノーボールから抜け出して、冷静にそのスノーボールを見つめることができたのである。(『夏の庭』湯本香樹美 214頁)
このあとがきを読んで、「視点を変えて考える」これが「心の成長」ということの1つの答えではないかと僕は思った。
ここでグッときたポイントの「戦争の話」と「おじいさんを騙そうとした話」をもう一度おさらいする。
どちらも少年たちがおじいさんの人生に関わる中で、彼らは新しい視点をえることができている体験といえる。(おじいさんはガチンコで関わっているというのも大事なポイントだと個人的には思う。)
これが心の成長ということには重要なのではないか。
このあとがきを読んで、僕は信仰にも同じことがいえるのではないかと思う。
「うちの宗祖、教祖ならこの状況でなんていうだろう」
ということを、考えることで、僕たちも今自分がいるスノーボールを俯瞰してみることができるのではないかということだ。
そしてそれは心の成長へとつながる。
といってもこれを読んで下さっている方は、すでに立派な大人だろう。
ということは小さなスノーボールの世界にいるわけではないだろう。
ただ自分のいる世界を別な視点でみるということは、信仰をしていると割とできるというのが、僕の体感としてある。
信仰を通して、自分にはない別な視点を得る。
これが「心の成長」だとこの本は教えてくれた。
以上「『心の成長』を考える時に、読みたい1冊」というお話でした。
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